男化するweb世界

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

 kanjinaiさんも紹介していた、梅田望夫ウェブ進化論」を読んだ。これから先、もっとwebによって社会変革が起きていくらしい。と、どうも他人事で読んでしまった。
 私はこっちの記事のほうが、肌身感覚にはあっている。

 べつに「はてな」に限らず、個人的には「ブログ」というツール(ネットの遊び場)に手詰まり感を感じているわけです。自己表現として何かを世の中に出したいと思っている人間より、仲間と楽しく特定のサービスを使いたいと思っている人間のほうが圧倒的に多いわけで、そういう人はケータイ・コミュニケーションとかmixi(18歳以上)に行っている、ということでしょう。

lovelovedog「『はてなダイアリー』の住民は5万人固定でもう増えない」『愛・蔵太の少し調べて書く日記』(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070619/juunin

私の周りの、長くWEBサイトをやっていたお友達は、続々とmixiに移住していった。WEB日記→ブログ→mixiという感じで、ブログは通過点に過ぎない。そして、すでにmixiに飽きた友人も多く、結局、「webで一番使えるのってメールだよね」という結論に落ち着く雰囲気だ。

 私がインターネットに始めて接続したのは99年くらいで、初めて使ったサービスはジオシティーズ。どっぷりWeb1.0に親しんでいる世代にあたる。もちろん、私の書いたテキストをネット上で全世界に公開しても、学校で友人に手書きのURLのメモを渡さないと、誰も見てくれなかった。そして、学校から帰って、宿題をすませて、空いた時間に日記を書くという、「プライベートな遊び」という感覚でwebに接してきた。私と同世代の多くの友人が、同じく中高生時代からwebで、好きに日記を書き散らしてきた。
 それぞれが好きなものを書き始めると、膨大な玉石混交の文章がweb上に溜まることになる。つまらない石ばかりが溢れることになるのだ。その状況を梅田さんはITの成熟が乗り越えたという。

 そしてブログが社会現象化した第二の理由とは、ネット上のコンテンツの本質ともいうべきこの玉石混交問題を解決する糸口が、ITの成熟によってもたらされつつとあるという予感なのである。この本質的問題が解決されるのなら、潜在的書き手の意識も「書いてもどうせ誰の目にも触れないだろう」から「書けばきっと誰かにメッセージが届くはず」に変わる。そんな意識の変化がさらにブログの増殖をもたらす好循環を生み出している。
 ではその原因となるITの成熟とは何か。一つはグーグルによって達成された検索エンジンの圧倒的進歩。もう一つはブログ周辺で生まれた自動編集技術である。(139ページ)

世界的にみれば、そのようなweb進化の潮流となるのかもしれない。しかし、日本の場合、少なくとも文章をたくさん書いてコンテンツとしたいと思っている人が、影響を受けてきたのは、「2ちゃんねる」と「READ ME!」だったと、私は考えている。
 今は「2ちゃんねる」も、あまりにも情報が多くなりすぎて、状況は変わったが「2ちゃんねるに晒される」ということが、意味を持っていた時期は確実にあった。それまで「書いてもどうせ誰の目にも触れないだろう」と思っていたプライベートな日記が、ちょっとした悪意で「2ちゃんねる」に紹介されただけで、アクセス数が跳ね上がり、攻撃的なメッセージや嘲笑を浴びることになる。だから、そうならないように防衛線を貼る=他者の視線を意識する工夫が必要になった。それも、「2ちゃんねらー」という誰か知らない匿名の他者の視線を意識し始める。これが、公共化の第一歩だったのではないか。
 「READ ME!」は登録制の、ランキングサイトだった。もちろん、アクセス数をあげると、上位にランキングされ、さらにアクセス数が増えるというよくあるシステムだが、これを支えていたのは、先ほど引用したブログの書き手、愛・蔵太である。愛・蔵太は新着サイトを全て読み、気に入ったものにコメントをつけ、「おすすめ」していた。この「おすすめ」に入ると、それまで「書いてもどうせ誰の目にも触れないだろう」自分の文章は、誰かに届いてしまう。そんな窓口が設定されたことで、一気に文章は他者の視線を引きつけるものへと、工夫が求められ始める。
 一方で他者の視線への防衛があり、一方で他者の視線へのアピールがあるような、webで文章を書くことの公共化は始まったように思う。叩かれないように常識を持って、しかしある程度目立つ文章。そうなってくると、日常的な感情の垂れ流しよりも、論理的主張を好む層が増えてくる。この展開自体は梅田さんの述べるとおりなのだが、問題は、「2ちゃんねる」にしろ「READ ME!」にしろ、人間の介在が著しく大きいことである。梅田さんは、検索エンジンにしろ、RSSにしろ、アルゴリズムが自動的にコンテンツを選別していくことを、Web2.0の特徴としている。しかし、私の目から見ると、日本のwebの状況は、人間の目によって、人間の手で、公共化している。
 だいたい、リアルでの権威がweb上では関係ない、というのは、言いすぎだ。たとえば、このブログを読んでいる何人かの人は、リアルでのkanjinaiさんの権威を意識しているはずだ。*1もちろん、権威とブログの影響力は直結しないが、ある程度の相関関係はあるだろう。*2アルゴリズムが「誰の目にも触れないだろう」プライベートな日記を放逐したわけではない。悪意や、特定の個人の価値観や、権威指向が、現在の公共化しつつあるブログの状況を生んだのだ。

 そして、誰が増えて、誰がいなくなったのか。私は「論理的で自己主張が出来、常識をよく心得ている」大人の男を、ブログは求めていると感じている。そして、ヒステリックに感情を垂れ流す女子どもはmixiに出て行き、そしてmixiでさえ公共性を求められ、メールに返り咲いているのだ。もちろん、ここで私がいう「大人の男」とは、生物学的性差をさしていない。よりよい社会を運営し、意義ある生産物をうみだす「市民」をさしている。
 この傾向のよしあしを言いたいわけではない。むしろ、私こそが「女子ども」から「大人の男」へとシフトしている一人である。相対的に、意義ある生産物をうみだすように努力を心がけるようになった。それが楽しくないとも思わないし、社会を維持するための営みであるだろうし、そうすることによって自分の価値が認められるのもうれしい。
 一方で、私はこれからブログは特定の人たちが集う場所になるだろうと考えている。おそらく中心になるのは、リタイアした団塊の世代。若い世代や、「『これまでは言葉を発信してこなかった』面白い人」(137ページ)ではなく、これまで発信してきたから、もっと発信したい人の集まりになるだろう。たぶん、ガリ刷りでたくさん書いてきた人たちの。ビジネスとしては良いマーケットになると思う。

 たぶん、梅田さんがこういう話をみると、webはさらにブログを超えた形で進化するというような気がする。それならそれでもいいけど、とにかく私はwebを取り巻くねちゃねちゃした人間関係を抜きにして、アルゴリズムによる秩序の再編というのは、夢はあるけど実感は持てなかった。少なくとも、今は進行の兆しは小さいように思う。大きく感じたら、また書きます。

*1:少なくとも、私はすんごく意識する。

*2:だって、有名な人のつまらないブログの、アクセス数が膨大だったりするではないですか。