『難民』とは誰か

昨日、「Women in Struggle パレスチナ・女たちの闘い」上映会に行ってきた。岡真理さんや岡野八代さんもラウンド・トークでいらっしゃって、豪華。
映画の内容自体は、パレスチナ解放闘争を戦う女性たち4人の生活を追い、「証言」でつづるドキュメント。パレスチナをめぐる世界情勢と、パレスチナ内部での女性差別という「二重の差別」に抗して、彼女たちは立ち上がる。そのやむにやまれぬ困難さは、翻って私たちに「私たち自身の暴力性」を自覚させる。実際、いま建設最中の「分離壁」は、じかにパレスチナの人々の生命を奪うものではない。しかし、たとえば20分で職場に行けたところを、迂回せざるを得なくなり2時間かかってしまったりする。「分離壁」は、じわじわと生活を追い詰めているのである。私などは、A.センの言う"capability"の視点から、生活や生き方の幅が狭められていると理解した。
関連して、次の本。

難民 (思考のフロンティア)

難民 (思考のフロンティア)

小森はベンハビブ『他者の権利―外国人・居留民・市民』で展開されている、アーレントの「諸権利を持つ権利」とカントの歓待論との総合をめぐる議論を紹介しつつ、難民をめぐる議論を展開しようとしているが、理論的にこれはいけているのか。端的に、市野川の言うように、難民とは「生活上の困難に直面する民」(p.84)のように集約されまいか。だとすれば、障害者問題も、低賃金労働・過重労働問題も、広い意味で「難民」問題であろう。
最後に上映会の話に戻ろう。岡野はパレスチナ人女性が<身体>や故郷としての<土地>を貶められ、傷つけられ、奪取されることが理不尽だと思うことについて、「それらは自分ですら制御され得ないものだからだ」と言っていたことが非常に印象的であった。「自分の身体が自分ですら制御できない/しない」という思考は、立岩真也加藤秀一らの粘り強い議論がある。岡野がパレスチナ女性をめぐる身体/土地の議論に「他者性」を見出していることは、慧眼に値すると思いながら話をお聞きしていた。