新渡戸稲造『武士道』の切腹シーン

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

名著の誉れ高い新渡戸の『武士道』だが、さすがに古典だけのことはある。オリジナルは英語で、岩波文庫版は矢内原忠雄が日本語訳したもの。格調高い訳文で、すばらしい。新渡戸の武士道は、彼が頭の中で再構成した机上の武士道だという批判があるが、たしかにそうかもしれないと思う。武士道の解説という域を超えて、新渡戸哲学の世界に入っている。新渡戸稲造キリスト者である。矢内原忠雄キリスト者で東大総長。キリスト者がこのような本を書いたということ自体、研究対象のように思う。新渡戸の東西の博学は異様で、これは当時の欧米知識人はノックアウトされたにちがいない。

この本から、まずは、新渡戸が引用している、ミットフォードの『旧日本の物語』を孫引きしてみたい。ミットフォードは外国人使節として、日本で、武士の切腹に立ち会う。そのときの記録である。

(グロい記述が弱い方は読まないように)

またもや一礼終って善三郎は上衣を帯元まで脱ぎ下げ、腰の辺まで露わし、仰向けに倒れることなきよう、型のごとくに注意深く両袖を膝の下に敷き入れた。そは高貴なる日本士人は前に伏して死ぬべきものとせられたからである。彼は思入れあって前なる短刀を確かと取り上げ、嬉しげにさも愛着するばかりにこれを眺め、暫時最期の観念を集中するよと見えたが、やがて左の腹を深く刺して徐かに右に引き廻し、また元に返して少しく切り上げた。この凄まじくも痛ましき動作の間、彼は顔の筋一つ動かさなかった。彼は短刀を引き抜き、前にかがみて首を差し伸べた。苦痛の表情が始めて彼の顔を過ぎったが、少しも音声に現れない。この時まで側に踞りて彼の一挙一動を身じろぎもせずうち守っていた介錯は、やおら立ち上り、一瞬大刀を空に揮り上げた。秋水一閃、物凄き音、鞺(どう)と仆(たお)るる響き、一撃の下に首体たちまちその所を異にした。

場内寂として死せるがごとく、ただ僅かに我らの前なる死首より迸りいずる血の凄まじき音のみ聞えた。(103頁)

このシーンもすごいが、これを引用した新渡戸、それをこういう日本語で翻訳した矢内原も尋常ではない。このシーン、あきらかに三島由紀夫の『憂国』や黒澤明の映画に影響を与えているように思う。

新渡戸がこの引用のあとに紹介しているのは、若き3兄弟が切腹するシーンで、まだ8歳の男の子が、兄二人に左右から挟まれて、まず長男が腹を切って手本を示し、次いで次男も切り方を説明しながら切腹し、両者死んでから、8歳の子もおもむろに教えられたとおりにものの見事に腹を切り終わった、ということが書かれている。

現代の常識からすれば狂気である。いかなる意味でもこれは許されないと私は思う。新渡戸は半ば誇らしげにこれを書いている。新渡戸、矢内原のここまでの入れ込み方は、かれらのキリスト教と、どういう整合性があるのだろうか。それを知りたい。