大塚信一『山口昌男の手紙』に見る知識人の肖像

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

岩波書店にて山口昌男の編集者を長く勤め、岩波書店の社長であった著者が、山口からの私信を公開しつつ、彼との知的交流を綴った本。山口昌男と言えば、中心と周縁、トリックスターなどのきらびやかな言語で、一時期の思想界を席巻した異彩の研究者である。だが、いまの若い人はもうぴんと来ないのではないか。このようなタイプの人が、今後、どのように受容されていくのか、あるいはいかないのか、予想がつかない。本書の内容を読んでも、山口が、日本を離れて海外で走り回って、たくさんの著名人たちと交流している様は、どこか岡本太郎に似ている。ただし、海外の著名人と言っても、だいたいが欧州の同時代の有名人だから、時代が変わったらほとんど忘れ去られるかもしれない。

著者は、山口に惚れ込んでいるが、1990年代以降は疎遠になったという。そのあたりのいきさつもおもしろい。たとえばこういうエピソードとか。

八〇年代の最後の頃だと思うが、ある時山口氏から電話がかかってきた。「フランス大使から食事に招待されて、女房と一緒にフランス大使館に行かなければならない。ついては、ハイヤーを一台回してもらえないだろうか」という内容だった。それに対して、私は拒絶した。・・・(中略)・・・
 私は、山口氏から右のような電話をもらったことが、情けなくて仕方なかったのである。山口氏は、今や押しも押されもせぬ、日本を代表する知識人になった。そして数多くの著作を発表している。言うならば、知の世界の帝王である。その無冠の帝王ともあろう人が、なんと俗世間の見栄そのままに、大使館に呼ばれたからタクシーではなくハイヤーで行かねばならない、と言う。無冠の帝王ならば、大使館であろうとどこであろうと、堂々と歩いて乗り込んでこそ格好いいのでは、とさえ思ったことを鮮明に記憶している。(353頁)

若い読者は、「タクシー」と「ハイヤー」の違いが分からないかもしれないから注釈しておくと、「ハイヤー」というのは、道を流していて、手を挙げると止まってくれる、あのタクシーではない。「ハイヤー」というのは基本的に黒塗りの中型車(大臣とか社長とかが乗っているタイプの車種?よく知らないが)ですごく座り心地のよい座席で白いレースのシーツが敷いてあったりして、たとえば朝日新聞社とか岩波書店とかが会社単位で契約していて、顧客の送り迎えに使用するのである。

山口が、大使館に呼ばれたから、岩波書店ハイヤーを頼んだというのは、そういうことである。

著者の、このあたりの筆致はなかなか読ませる。京都の女将の話なども、なかなかよい。こういう山口でありながら、著者は、山口を愛しているのである。そのことがよく分かる本であった。