『中学総合的研究英語』はすばらしい本です

中学総合的研究英語

中学総合的研究英語

  • 作者: 金子朝子,赤池秀代,秋山安弘,井戸聖宏,向後秀明,二ノ宮靖史,ドン・メイビン
  • 出版社/メーカー: 旺文社
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 単行本
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とある用事で、英会話の基本を勉強するための本を探すことになり、それなら中学校の英語の参考書がいいのではと思って、ジュンク堂に行っていろいろ調べてみたら、この本がダントツによいことがわかりました。発行は2006年だから、新しい本。執筆陣にはネイティヴも参加していて、例文にもヘンなのは見あたらない。かゆいところに手が届くとはこのことで、この本をマスターして、あとは英単語を覚えれば、もう英語での会話に苦労することはないのではないか、と思われるくらいの良書です。しかし、いまの中学生はいいなあ、こんな本で英語を勉強することができて。われわれの頃はひどい参考書しかなかったしね、誰もしゃべってない英語例文ばっかの参考書とか。

今までの学習事典とは一味違う説明で、無味乾燥になりがちな学習を、豊かで知的興奮がかきたてられるものに変えます。(4頁)

と書かれているが、実際、日本語による文法の説明はツボを押さえていて、面白いです。中学生向けというよりも、むしろ、大人向けじゃないかという感もある。

この本、海外旅行を控えた大人や、大学院受験を控えた学生が、もういちど英語を復習するにも最適じゃないだろうか。英会話本を買って勉強し直すよりも、こっちのほうが断然良いと思います。当然ながら、書店では中学参考書の棚に並んでますが、これは一般の英語学習コーナーにも並べるべきです。このブログ見ている書店員さんがいたら、ぜひ、試みてみてください。的確なポップ付けたら、きっと売れるよ。

横塚晃一『母よ!殺すな』・2

16日、17日と京都で障害学会があり、盛況のうちに終わった。以下、学会会場で購入してきた。

母よ!殺すな

母よ!殺すな

脳性マヒ者の障害者団体「青い芝の会」は、知る人ぞ知る団体である。その中でもっとも有名なことばに、「愛と正義を否定する」「問題解決の路を選ばない」というものがある。

だが私は、彼らが少なくとも正義を否定しないし、実際に問題解決しようとしている、と思ってきたし、私が出会った青い芝の会の障害者たちはそうだった*1。今回、この名著『母よ!殺すな』を読んで、強くそれを感じた。映画『さようならCP』の上映討論会で、「愛と正義を否定する」とはどういうことか、という質問を受けての横塚の回答である。

まず愛と正義とはどういうことかというと、正義というのはいわゆる勝てば官軍ということ、勝った方が正義で、正義に対して全く反対のものとして悪がある。悪とは何かといえば負けたほうが悪。それでいわゆる正義である以上勝たねばならない。これは人より強いか弱いか、あるいは生産性が大きい、あるいは小さい、それから多数者対少数者というふうに比べてみれば皆当てはまること。で、我々の存在というのは絶対的少数者である。だから我々はいわゆる正義の側には立てない。西部劇でいえば負ける方のインディアンである。西部劇の正義というのはやっぱり白人の側が正義である。これは日本の歴史ばかりでなく世界の歴史はすべてそうなっている。子供のテレビドラマに出て来る正義の味方月光仮面、あれは正義で絶対に負けたことがない。(pp.169-170)

見事に論理的かつ驚くほど明晰である。ちなみに愛についても横塚はキリスト教の「神の愛」をもちだし、「上から下へ常に一方通行である」ことを批判する。つまり、青い芝の会が言う、健全者の論理としての「正義」というのは、端的に言って「勝った方」なのである。また、少し解釈を入れれば、「勝つことを宿命づけられているとされる側」ともなろうか。私はこの部分を再読し、改めて思ったことは、青い芝の会が批判し糾弾する「正義」なるものは、「9・11以降のアメリカ」に特徴づけられる「正義」だということである。それを、青い芝の会は極めてレトリカルに、逆説的に主張した、と私は考えている。なぜなら、そんなふうに主張せざるを得ないような社会であったし、現在もそのような社会であるからだと私は思っている。

解説を書く立岩真也の文章も一読に値する。「例えばイタリアやフランスの哲学者たちでそんなこと(引用者註・政治哲学や倫理学で「価値」を扱うこと)を主張したいように見える人たちの主張さえもが、どこか中途半端な感じがするのに比べて、単純だが、はっきりしている」(p.419)と述べる*2。青い芝の会の残した思想は、闘いながら(余儀なく闘わざるを得なかったということは忘れるな!)得られたいわば「血まみれの原石」である。ここを拠点にして、1つの思想のストーリーは紡がれていくだろう。

最後に、立岩の以下の言葉を引用して締めよう。

この本は、この本がいらなくなるまで、読まれるだろう。そしてその時は来ないだろう。しかしそれを悲観することはない。争いは続く。それは疲れることだが、決して悪いことではない。そのことを横塚はこの本で示している。(p.425)

*1:私が出会ったのは90年代はじめだから、時代の違いはあるかもしれない。

*2:立岩は明示していないが、アントニオ・ネグリやヴァン・パレイスを念頭に置いているように思える。

『世界の貧困問題をいかに解決できるか』

世界の貧困問題をいかに解決できるか―「ホワイトバンド」の取り組みを事例として 千葉大学講義録

世界の貧困問題をいかに解決できるか―「ホワイトバンド」の取り組みを事例として 千葉大学講義録

千葉大学と「ほっとけない世界のまずしさ」キャンペーンとホワイトバンドプロジェクトが合同で行なった千葉大学の教養部の講義を、テープ起こししたもの。もうみなさんはホワイトバンドのことはすっかり忘れているかもしれませんね。それをめぐって日本では一悶着あったことも。

この講義録で言われている内容は、とても正しいように思われる。善意と正義に満ちている。と同時に思うのは、こういうメッセージは、こういう運動を「ケッ」とか思っていらいらする人々には、なかなか届かないということかな。「それでもいい、正しいこと、必要なことは続けていくのだ」という態度それ自体に、いらいらする人はけっこういると思う。

最後に大黒摩季のライブがあって、大拍手で終わっている。

この講義を受けたからと言って、学生の行動が大きく変わるわけではないし、世界が変わるわけでもないだろう。ただ、行動が変わってしまう学生がひとりふたり出るかもしれない。10年後にふと影響が現われる学生がいるかもしれない。それらの学生たちが日々の暮らしや社会の活動のなかで、世界全体の構造をちょっとでも変えるために、これから長い時間をかけて何をすることができるかが問われているのだろう。と同時に、この講義を受けても、現状は現状でいいし、それについて偉そうな指図は受けたくないと思う学生も多くいるだろう。めんどうだから考えたくないし、身近な幸せがいちばん大事という学生もいるだろう。ホワイトバンドとか言って目立ってるセレブたち(巨額の募金をしてもそれ自体が宣伝になってまたもうけを得るだろう人たち)への反感もあるだろう。世界の貧困をなくすことよりも、世界の貧困をなくすことについての言説配置や闘争のほうに関心のある人たちもいるだろう。ブックマークを付けることしか関心のない者もいるだろう。錯綜する状況のなかで、とりあえず私はこの善意と正義に満ちた怪しげな動きに、冷めたYESを送りたい。