「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画

 興味深い記事を発見。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 そうなのか?。私の場合、カルピス劇場のアニメーションは子供の頃に見たかすかな記憶が残っているが、原作をまだ読んだことがなかった。いずれ原作に目を通して、プロデューサー氏の仮説を検討してみたい。

フランダースの犬 (岩波少年文庫)

フランダースの犬 (岩波少年文庫)

西田幾多郎の生命の哲学

論文書きのために、次の本を読んだ。

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

なかなか面白かった。西田は、『善の研究』を読んでいたほかは、後期の全集などをぱらぱらと読むくらいだったから、この本を読むことで西田の全体像を、いまっぽい枠組みで概観することができた。京都学派とのしがらみなしに西田を読める良い本だと思う。

檜垣さんは、西田を生命の哲学として読み解こうとする。前半がとくに引き締まっていてクリアーである。後半はちょっと息切れしてるかなとか思うが、言いたいことは分かる。西田自身が後期・晩年は煮詰まっているのだろう。

檜垣さんは「生命」についてこのように言う。

生命は自らを展開させる力をもっている。生命は自己増殖し、自己展開し、進化する。生命は、「要素還元主義」的な単純な物質法則によってはとり押さえられないような、繁殖の力、多様性の力、自己組織化の力を露呈していく。(73頁)

そして前期西田における「純粋経験」が「このような有機体的な生命の議論の、思想的ヴァリエーションと見なしうるものである」(74頁)とする。

そして、西田哲学が「自覚」「無の場所」「行為的直観」というふうに後期に向かって深化していくときにおいても、それは一貫して「生命の哲学」であったと言う。すなわち、「形」から「形」へと無限に「動揺」していく場面が「絶対矛盾的自己同一」なのであるが、そこにおいて働いているものは「破断を含みながら自らを組み替える潜在的な力」であり、西田はそこに「生命」を見る、と檜垣さんは言う 。そしてこのように西田を読解したうえで、そこに同時代の哲学者であるベルクソンとの類似性を認め、また後の哲学者であるドゥルーズとの共通点を見出している。

無と自己同一というような形而上学的思索にもし興味がもてるのなら、こういうふうに解釈された生命哲学はとても面白いだろう。私としても、とても参考になるが、私自身はもっと楽しい方向に生命の哲学を開いていきたいと思っている。いずれ論文で発表します。

オウム真理教は仏教ではない?

朝日新聞』大阪版、12月21日朝刊に、「シルクロード・奈良国際シンポジウム2007」という催しの記録が一面全面を割いて紹介されている。発言者の話はそれぞれ面白いが、ひとつだけ「?」となった発言があった。それは榎本文雄大阪大学教授のものだ。

――オウム真理教も仏教か。
榎本 仏教は殺生を禁じる戒律を守らねばならない。オウム真理教は殺人を犯したので、仏教の教えに反している。

朝日の記者が要約したのだろうから、本意を伝えていないかとも思うが、それにしてもこれでよいのだろうか。だとしたら、日本の仏教のほとんどは仏教の教えに反していることになるだろう。自分で蚊も殺しているし、人の殺した肉も食べているし、むかし比叡山には強い僧兵がいて、寺の意志のもと人殺しをしていた。

もしこの発言が、「日本のほとんどの仏教徒も仏教の教えに反している」と続くのなら、一貫性はあると言えるだろう。

大阪府立大学のシンクタンク化

大阪府知事選に立候補した橋下徹氏曰く、

府立大学をシンクタンク化して連携を取りたいと思っていますが、民間からひくてあまたになる組織にしたい。
http://zakzak.co.jp/gei/2007_12/g2007121222.html

要するに、大学を潰して、仕事の注文請負で生計を立てる民間の研究所みたいなものにするということか? いままで府立大学が府の地元の企業その他経済界にどのくらい数の真面目な学生を卒業生として送り込んできたのかこの人は分かってるのか?

大佛次郎論壇賞とタバコ

12月16日の朝日新聞朝刊に、「第7回 大佛次郎論壇賞」の発表と講評ページがあった。今年の論壇賞は『和解のために』であったが、私が注目したのは、その選考風景の写真である。長い机に十名ほどの選考委員のお偉いさんたちが座っているが、その机の中央部には、「灰皿」が4個ほどどーんと置かれているのである。

朝日新聞社にお聞きしたい。朝日新聞社は会議室禁煙にしてないのか? (大組織ではいまどき珍しくないか?)

それとも、選考委員のなかに、喫煙家の偉いセンセイがいて、朝日新聞側としては、何も言えないのか?

この様子では、朝日新聞の書評委員会も相変わらず灰皿置いてるのだろう。朝日新聞紙面の喫煙に対する姿勢はどうだったのでしたっけ?