西田幾多郎の生命の哲学
論文書きのために、次の本を読んだ。
- 作者: 檜垣立哉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/01/19
- メディア: 新書
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なかなか面白かった。西田は、『善の研究』を読んでいたほかは、後期の全集などをぱらぱらと読むくらいだったから、この本を読むことで西田の全体像を、いまっぽい枠組みで概観することができた。京都学派とのしがらみなしに西田を読める良い本だと思う。
檜垣さんは、西田を生命の哲学として読み解こうとする。前半がとくに引き締まっていてクリアーである。後半はちょっと息切れしてるかなとか思うが、言いたいことは分かる。西田自身が後期・晩年は煮詰まっているのだろう。
檜垣さんは「生命」についてこのように言う。
生命は自らを展開させる力をもっている。生命は自己増殖し、自己展開し、進化する。生命は、「要素還元主義」的な単純な物質法則によってはとり押さえられないような、繁殖の力、多様性の力、自己組織化の力を露呈していく。(73頁)
そして前期西田における「純粋経験」が「このような有機体的な生命の議論の、思想的ヴァリエーションと見なしうるものである」(74頁)とする。
そして、西田哲学が「自覚」「無の場所」「行為的直観」というふうに後期に向かって深化していくときにおいても、それは一貫して「生命の哲学」であったと言う。すなわち、「形」から「形」へと無限に「動揺」していく場面が「絶対矛盾的自己同一」なのであるが、そこにおいて働いているものは「破断を含みながら自らを組み替える潜在的な力」であり、西田はそこに「生命」を見る、と檜垣さんは言う 。そしてこのように西田を読解したうえで、そこに同時代の哲学者であるベルクソンとの類似性を認め、また後の哲学者であるドゥルーズとの共通点を見出している。
無と自己同一というような形而上学的思索にもし興味がもてるのなら、こういうふうに解釈された生命哲学はとても面白いだろう。私としても、とても参考になるが、私自身はもっと楽しい方向に生命の哲学を開いていきたいと思っている。いずれ論文で発表します。