三村友希「浮船の<幼さ><若さ>――他者との関係構造から――」

 源氏物語占いというサイトがある。馬鹿馬鹿しいと思いつつ、生年月日を打ち込むと、「あなたは六条の御息所です」というメッセージが表示されて、ぎゃふんとなった。という、エピソードを話すと、知人に「まだよかったやん。浮舟とか言われるよりは。」と言われた。
 『源氏物語』宇治の十帖に出てくる、浮舟は、薫と匂宮の三角関係にもまれた末、出家する。三村友希はこの浮舟に焦点をあてる。
 浮舟は、母の用意した薫との庇護的な関係を裏切り、匂宮を魅了し、官能的な恋に落ちていく。三村さんによれば、それは、浮舟の母に庇護され従順な娘からの遁走と成熟の一コマだったという。一方で、浮舟には、過剰な<幼さ><若さ>が課せられていることを、三村さんは指摘する。

浮舟が<幼く><若く>振舞うことも、いつも庇護され守られている自分であるために不可欠な、無意識に引き受けてきた役割演技でもあったのではないか。
(中略)
 浮舟はしばしば、対話場面において<幼さ><若さ>のしぐさを見せている。夕顔の媚態にも似るそれは、常陸介の継子として育った浮舟の、いわば身体に染みついた身の処し方ではなかったであろうか。父宮の顔を知らず、母中将の君だけにすがって生きてきた浮舟の<幼さ><若さ>は、精一杯の自己主張であったのかもしれない。内気で臆病な浮舟などすぐに淘汰されてしまうのだから。

三村友希「浮舟の<幼さ><若さ>――他者との関係構造から――」『文学・語学』第一八八、全国大学国語国文学会編、2007年、23〜24ページ)

三村さんは、この<若さ>の生命力こそが入水した川で浮船の命を永らえさせ、この<幼さ>の媚態が小野の地での尼たちの庇護心を掻き立てるのだという。浮船は、自らを守るために、<幼さ>と<若さ>によって、周囲に自分を愛させることで、生き延びていくのだ。この浮舟は、『源氏物語』の語り手までもが、あきれるような突発的な行動をとる。この点に関して、三村さんはこう述べる。

 浮舟の<幼さ><若さ>はいつも批判にさらされ、その<成熟><未成熟>は常に未分化である。不遇で孤独な浮舟の<幼さ><若さ>は、正編の紫の上や女三の宮のそれとはちがう。光源氏のように、彼女を熱心に教え導いてくれる父的存在も欠如していた。浮舟の前にはじめて父性を担って現れたともいえる横川の僧都に、行き迷う浮船は繰り返し、教えを乞うている。自分自身では何一つ決断できなかったからこそ、入水などという無鉄砲な行動に出て、語り手までをあきれさせた。何も持たない、何も知らない浮舟の、弱さのただなかにふと立ちあらわれた捨て身の逞しさである。
(25〜26ページ)

三村さんは、浮舟を哀れむわけでも、蔑むわけでもない。ここに、逞しさをみる。浮舟の行動は、合理的でも生産的でもない。しかし、彼女は、その無茶苦茶な行動で、初めて、母の庇護からも、薫の庇護からも逃れる。薫は、出家した浮舟に使いを出すが、浮船はそれを拒む。そして、今は尼の庇護により生き延びているが、そこで出家生活を全うするのかどうかにも三村さんは疑問を呈す。
 浮舟が、成熟していき、<幼さ><若さ>ではない生きるすべを身につけることができるかどうかは、作品を読んでもわからない。しかし、このような課せられた<幼さ><若さ>を利用して生き延びつつ、<幼さ><若さ>が彼女の全てだと思い込む周囲から、逃れ続けようとする浮舟の迷走は、現代でもよく見かけるように思う。庇護なしでは生きられない人間が、庇護なく生きるすべとは、何をさすのだろうか。