中島敦『山月記』と倫理

 『山月記』を読んでいると思わぬ箇所が目にとまった。虎になってしまった主人公の李徴の嘆きである。

おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、そのことを、この上なく恐ろしく感じているのだ。ああ、まったくどんなに、恐ろしく、哀しく、せつなく思っているだろう!おれが人間だった記憶のなくなることを。この気持ちはだれにもわからない。だれにもわからない。おれと同じ身の上になった者でなければ。

中島敦山月記

高校の教科書に載っていて、そのときには、漠然としかこの恐怖はわからなかったが、まさに私が問おうとする倫理の話に重なってきていると感じた。
 極限状態の人の「どうしようもなさ」を責めることはできないだろう。それでも「仕方ない」と割り切れないからこそ、倫理は必要とされる。本当に恐ろしいのは、倫理を問われることではなく、倫理を諦めさせられることではないか。周りがどんなに「もういいよ」と言っても、最後のギリギリまで倫理を求める人も、いるだろう。その振る舞いを「処世術」とは私は呼びたくない。
 ところで、中島敦という人は、明治44年生まれで、一応、教養文学を志したというふうに文学史では置かれやすい。しかし、ディレッタントから高校教師という務め人という道を選び、家族も大切にしたらしい。「山月記」は、李徴と自分を重ね合わせて書いているように読める。当時の読者も同様だったようだ。

 中島敦に接するに、その次元が全く異なっていたと思われる三人――妻、中学時代の友人、先輩作家――の「山月記」に対する想いは、驚くほどに一致している。いずれも、猛虎と化した李徴の叫びに、作者・中島敦の声そのものもききとっているのである。彼と身近に接したこれらの人々と同様に、直接中島敦と面識のない評論家、研究者も、この点では完全に一致している。これは又、「山月記」という作品が、曖昧さを許さぬ堅固とした詩的空間を持っていることの証左ともなるであろう。

勝又浩『中島敦の遍歴』筑摩書房、2004年、118頁

解釈はいくらでもできるだろうが、虎にならねば詩が書けぬと思いながら人のままでいることに苦しんでいたが、いざ虎になると人の心を失い詩が書けなくなる、という私はあらすじをとった。当時は無頼派代表格の太宰治のように、文学のためには家族を犠牲にするという上段に構えた作家が多い中、家族の日常を守った中島さんのやり方は、決して日和見主義ではないだろう。人間を描くためには、人間に留まらなければならないが、人間の外側を目指さなければ、人間を外から描くことはできないというジレンマはあったのではないか。どちらにしろ、高校時代に読んだより断然おもしろく感じた。