極限状況論・整理
「倫理」をめぐるx0000000000さんとfont-daさんのアプローチは、次のようなことになるのでしょうか?
救命ボートの例や、姥捨山問題の例について、
x0000000000さん:
このような極限状況においては「倫理」は問えない、答えられない、選択できない。
極限状況でなされる行為は、せいぜい処世術である。
真の「倫理」は、こうした極限状況が起きないようにしていく行為として現われるはずだ。極限状況を減らしていくことが「倫理」だ。「倫理」は(極限状況のような)いまここの現実を変えられない。「倫理」は未来に関わる。
font-daさん:
このような極限状況においては、渦中の人は何が「倫理」的な行為なのか分からない。
その行為者の「倫理」は、状況が過ぎ去ったあとで、はじめて分かる。
「理論」を追求しながら、「現実」では手のひらを返したような処世術を実行するのはおかしい。「倫理」は「現実」と「理論」の中間にある。「倫理」が何なのか分からない渦中でこそ、「倫理」を問わなくてはならない。
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とりあえず、議論を進めるための手がかりとしてのみ、提示。(間違いはコメント欄でご指摘ください)。
言及エントリー:
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070520/1179591714
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070519/1179586075
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070519/1179542871
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070517/1179380587