ゲルド・フェルディナンド・キルヒホッフ『被害者学とは何か』

被害者学とは何か (講演会論文シリーズ (1))

被害者学とは何か (講演会論文シリーズ (1))

 常盤大学には国際被害者学研究所が設立されている。そこで行われている講演会を文書化して翻訳し、出版している。そのシリーズ第一作がキルヒホッフ『被害者学とは何か』である。30頁ほどの非常に短い文章で、英語版もついて千円。*1内容は、被害者学の成り立ちと、目指すものを簡潔に書いているもの。読みやすくて参考になった。
 刑事訴訟法の改案が現実化しそうなので、犯罪被害者の会と司法関係者の間では、かなり政治的な動きがある。主に論点になっているのは、被害者の訴訟参加と附帯私訴(刑事訴訟が終わった後、民事訴訟につなげる制度)の復活。その中で、被害者をどう位置づけるのかという議論が巻き起こっている。
 この本では、キルヒホッフがわかりやすく図示しているのだが、刑事裁判は「加害者対被害者」で行われるのではなく、秩序を乱した加害者を国家が罰するという形で行われる。近代法では、被害者という存在は、外側に置かれてきた。国家の権利と、国家権力の濫用を抑止するための、加害者の権利のせめぎ合いが刑事訴訟である。 
 結果として、被害者は刑事訴訟から排除されることになる。*2そこで、「被害者の権利」を訴え、被害者が主体的に訴訟に参加し、さらに量刑が決定した後に、民事訴訟で損害賠償請求ができるようにしよう、という主張がなされている。
 キルヒホッフは、刑事司法制度は公の秩序のためにあり、被害者のための制度ではないと明言する。そして、弁護士がしばしば被害者に対して口にする「あなたのためにやっているのだから、言うことを聞け」という抑圧を批判し、司法関係者による司法制度の独占と欺瞞を暴く。
 しかし、同時に、キルヒホッフは、近代司法制度自体が被害者を排除する形で組み立てられているため、「被害者の権利」を主張したところで、得られるものが多くない可能性も示唆し、慎重に論じる。

「被害者の権利」という明らかに法律用語から借りてきた言葉を、被害者学者がなぜ取り上げたがるのかを分析してみるのは興味深いかもしれない。被害者の権利を立法化することにより、立法者が描き出した社会とはこうである。すなわち、被害者は、何らかの法的地位を有しており、その地位が侵害された場合には、侵害した者はその損害の弁償に法的責任を負うという当然の帰結を伴う、ということである。学者たちが、被害者の権利という概念を無批判に乱用しているのかどうか、もしそうだとしたらなぜなのか、こうした点を批判的に分析することは被害者学的にも価値のあることである。
(26頁)

キルヒホッフは司法の縦の関係(刑事訴訟の国家と加害者の関係)から、横の関係への転換を提案する。横型司法制度には、被害者―加害者調停(VOM)、家族カンファレンス、ヒーリング・サークル、被害弁償、真実和解委員会など修復的司法の方法があげられている。キルヒホッフは、より被害者に有用な司法制度改革に二つの戦略を示す。

 2つの戦略を推薦したい。1つが二次被害の回避で、刑事司法制度に不可欠なものである。そしてもう1つが、修復的司法の促進である。修復的司法は、社会を統制する必要性を認めている。
(34頁)

私もこの戦略が妥当だと、現在の時点では考えている。
 刑事訴訟参加にしろ、附帯私訴の復活にしろ、被害者のメリットは大きいが、デメリットもある。必ずしも、被害者が皆、現行司法制度による法的措置を望むわけでもない。現在、積極的にこの問題に取り組んでいる大きな団体は以下である。*3
・全国被害者の会 NAVS【あすの会】(http://www.navs.jp/
→訴訟参加、附帯私訴に積極的
・被害者と司法を考える会(http://victimandlaw.org/
刑事訴訟法改自体に慎重
日弁連http://www.nichibenren.or.jp/
→訴訟参加に反対(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/070501.html

 キルヒホッフの論をさらに進めていくならば、横型司法を担うのは誰なのか、という問題がある。近代法における(限定的な)正義は、合意形成に基づく(とされる)法に委ねられている。そして、法の権威を保っているのが国家である。では、その<法―外>で求められる横型司法は、誰により何によってその正当性と権威を保つのか。そこまで考えて初めて、現行の司法制度外に、横型司法を打ち立てることができるだろう。*4現行の司法制度のサブシステムとしての、横型司法では意味がない。修復的司法には、現行の法制度と等しい正当性と権威が必要になってくるだろう。
 私は、刑事訴訟法改案、特に訴訟参加には慎重な立場を取ろうとしている。しかし、現行の司法制度に不備がないわけではなく、なんらかの司法改革は必ずなされなくてはならない。そのときに、司法関係者・加害者・被害者が一体となり議論を、さらに世論全体の議論を進めなくてはならない。私たちは、誰しもが加害者・被害者になる。誰も「私には関係ない」とは言えない問題である。その上で言うが、被害者の置かれている現状を改革する責任が格別に大きいことから、司法関係者が逃げないことを望む。

*1:成文堂の本はとっても高いので、たくさんは、よー買いません。

*2:実際、現在の日本で行われている刑事訴訟では、被害者が裁判の進行を知ることができない、というような事態を招いている。開廷日を教えてもらえないに始まり、検察側にないろがしにされているケースも多い。

*3:他にもご存じの方がおられましたら、ぜひコメント欄で教えて下さい。

*4:私は、横型司法(=修復的司法)で求められるのは、真理(としか呼びようのないもの)だと考えている。