ウェブへの恋愛か性愛か:梅田望夫他『フューチャリスト宣言』を読む

フューチャリスト宣言』を筑摩書房の方からいただいたので、帰りに読んだ。ウェブの今を感じるための好著だ。とくに梅田さんの発言がおもしろい。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

梅田さんは1960年生まれということで、私とほぼ同世代。仕事をしている分野は違うが、ウェブの見方はたいへん似ている。彼の『ウェブ進化論』の新聞書評を以前に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20070328/1175018037
梅田さんのウェブへの信頼感というか心中感覚というのは、なかなかしびれる。私もウェブ中毒で、目が覚めているときはつながっているほうが多い人だが、梅田さんほどの心中感覚はない。1993年のウェブ論『意識通信』(全文を無料公開してますhttp://www.lifestudies.org/jp/ishiki03.htm)で、私は、あっち世界の魅惑とともに暗黒の世界をも描いたが、これに比べたら梅田さんは確信犯的楽観論者である。

梅田さんはこういうことを言っている。

ネットの上で何かを中途半端に有料にして生計を立てようというのは、うまくいきません。パスワードが入って検索エンジンに引っかからなくなるから、ネットは絶対に有料にしちゃいけないんです。無料にしてそれで広告が入るかといったら、先進国でまともな生活ができるほどは普通は入らない。一方、リアルというのは不自由だからこそ、お金を使って自由を求めます。だから永久にリアルの世界でお金が圧倒的に回る。この二つの世界での生計の立て方とか、それから知的満足のしかたとか、いろいろ組み合わせて戦略的に考えていく必要があります。(105〜106頁)

私が自分の「生命学HP」で1998年から自分の書いた文章の無料全文公開を勝手に始め、2001年から「kinokopress.com」で無料と有料で文章を公開し始めて、その結果私が理解したのも、まさにこのことであった。kinokopressで文章を売り始めて、もっとも驚いたことは、<全文をサイトで無料閲覧できるテキストであっても、サマリーしか閲覧できない文章であっても、印刷用PDFの売り上げ数は同じである>ということだった。つまり、多くの読者のみなさんが、kinokopressのサイト上で全文を読んだ後で、その文章のPDFをお金を出して買ってくれたのである。つまり、これらの人々は、無料で読んで、有料で印刷権を買ったわけだ。けっして有料で閲覧権を買ったわけではない。ここにある秘密こそが、梅田さんの強調するウェブ2.0の本質と、どこかで関わっているはずである。

このあたりの背景は、
「著書のインターネット全文公開は暴挙か?」
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/compass-033.html
で書いた。

梅田さんは、また次のようにも書く。

たとえばあるときまで、「ロングテール」という言葉を検索エンジンに入れたって日本語の説明はなかったけれど、僕がガンガン書いたから、グーグルで「ロングテール」というところに行く人がまた増え、ロングテールについて書く人が増え、グーグルの検索結果が充実する。・・・(中略)・・・グーグルが賢くなるんですよ、僕が一生懸命書くことによって。・・・(中略)・・・僕がグーグルを賢くしてやるんだよ、と開き直った(笑)。「マトリックス」の電池になってやろうじゃないかと。それが僕の社会貢献の姿なんだとね。(86〜87頁)

たぶんここに、現在のウェブに向かうときのもっとも健全な精神があると私は思う。それを梅田さんは体現している。これはもう愛情であり、ひょっとしたら性愛である。ドリームナヴィゲイターである(というのは言い過ぎか)。

梅田さんの紹介するシリコンヴァレーは、いかにも米国的な創造の拠点なんだろうな。まだ行ったことはないけど、きっとそうなのだろう。個人主義の切磋琢磨の場。梅田さんの日本文化批判は、私も賛同する。ここは実際生きにくい。でもいまのところ国外に拠点を移すことは諸事情でできないから、とうぶんはこのヌルい文化のなかで創造性を活性化させていかないといけないな。実は日本の集団主義にもいい面はあるのかもしれない。たとえば、私はいまここで仲間たちとチームブログ「G★RDIAS」を走らせているが、この形もまた、ブログのひとつの可能性だし、ここでは個人主義と同志的信頼感のミックスでもって、何か新しいものを発信・醸成しようとしている。こういうのは日本向きかもしれない、とは思う。

こうやって、活字になる前のアイデアを、ガンガン載っけていくというのは、きっと何か面白いことになるだろうと予感する。

私は定期的に新聞書評もやっている。この本の書評は、新聞書評(原稿料あり)ではなくて、ブログで書いてみることにした。この本の出版日時は、奥付けでは5月10日ということになっているから、発行の次の日に書評がこうやってウェブに出ることになる。新聞書評とは文体もまったく異なってくる。お金をもらわないがゆえに、書けることがたくさんある。もちろんお金をもらうがゆえに、書ける文章というものもある(凝縮した文体とか)。

これからは、こうかな。

ブログにガンガン草稿を書く

単行本
↓ (絶版)
文庫本
↓ (絶版)
自分のサイトにて無料全文公開
↓ (死後)
グーグル等にて本の全文公開

うーん。どうだろう?