モテとはひとりの女を大切にすることである

モテ/非モテということが、男子のあいだで話題になっているようだ。これについては、人生の先輩として言いたいことがいろいろあるので、少しだけ書く。

モテは、「ちょいモテおやじ」みたいに、いろんな女にちやほやされて、性的な視線を送られることというふうに理解されることが多いと思うが、そこをコペルニクス的転回しないといけないように思うのである。

そもそも、「いろんな女からちやほやされたい、あわよくば、いろんな女とエッチしたい」という願望は、「権力欲」にほかならない。このような権力欲に裏付けられたモテにこだわっているかぎり、光明はさしてこないだろう。(沼崎一郎はこれを「男力」として批判している)。

そのような観念に絡め取られたうえで発せられる「モテ/非モテ」のパラダイムを、脱出しないといけないのではないのか。

では、コペルニクス的転回後のモテとは、いったい何なのか? 私が思うに、モテる男とは(とりあえずいまは男性の側に立った異性愛のみを考える。クィア論的次元についてはおいおいのちほど)、次のような男のことである。

モテる男とは、「自分の好きなひとりの女を恋人として大切にすることができる」男のことである。

そういう男になることができたら、その結果として、「ただそこにいるだけで、まわりの女たちに、異性としての快い刺激を与え、かつ、安心させることのできる男」に、長い時間をかけて徐々に近づいていくことができる。

これが、私の考えるモテる男である。

そんなのはモテる男とは言わないだろう!と思った男子諸君、では、きみたちのそばにいる女子諸君に、↑のような男がいたらどう思うか?と聞いてみてほしい。それで、↑のような男がモテる男だと言っているやつがいるが、どう思うかと聞いてみてほしい。(私もその結果を知りたいのでよろしく)

もちろんこれを読んだ諸君からすぐに反論があるだろう。
・そもそも「恋人」ができないのに、大切にすることなどできない。
→でも、モテの概念を変更して、上記のような能力を磨いていったら、恋人ができるようになるかもしれない、とは思えませんか?
・どうやってそういう能力を磨くのか?
→それは今後、徐々に述べていきます。
・モテは「顔」である。キモメンは、何をしてもモテない。
→モテの概念を変更しましょう。そしたら、ブサイクなキモ顔でも、きれいな女子を恋人にできている男が実在することを発見することでしょう。(事実を隠蔽してはいけない)
・俺はいろんな女とやりたい、ハーレムを作りたいんだ。
→権力欲丸出しでは、きっとモテないでしょう。
・どうせモテないんですよ、ほっといて。
→はい。
非モテで団結して恋愛至上主義社会を解体しよう。
→はい、面白そうですね。
・どうせ、「きみひとりだけが好きなんだ」とかを、いろんな女に囁いて、やりまくっているだけだろう。
→山脈は、いちばん高いところを越えましょう。そういうふうにひがむあなたの権力欲が、女子を警戒させているのかもしれませんよ。
・問題は、そんな権力欲とかではなくて、「劣等感」なんですよ。
→その点は、よく分かります。でも劣等感をくぐり抜けて、モテるようになる道筋はきっとありますよ。権力欲とひがみとに絡め取られるのを慎重に避けながら。

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追記:14日午後

非モテについては、hatenaキーワードにまとめがある模様:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C8%F3%A5%E2%A5%C6

革命的非モテ同盟に、「喪男の倫理と非モテの精神 −非モテの残された道− 」という文章がある模様:
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20070326/1174845264

ともに「モテ」の定義があいまい。これについてはまた書きます。

追記:14日午後2

モテの定義は、hatenaキーワードにありました:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E2%A5%C6

このエントリ「非モテ界隈における「モテる」の定義」も有益:
http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20050906#p1

モテ概念の2種類は、非常に興味深い。また書きます。

追記:5月1日

続編を書きました。

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070501/1177947000