石川啄木と子どもの死、底知れぬ謎

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

石川啄木のデビュー作『一握の砂』は、著者による次のような文章から始まっている。

・・・また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆(しょし)の手に渡したるは汝の生まれたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌(やくじ)となりたり。而(しこう)してこの集の見本刷を予の閲(けみ)したるは汝の火葬の夜なりき。

この文章は、何を意味しているのだろうか。

『一握の砂』は、有名な次の歌から始まる。

 東海の小島の磯の白砂に

 われ泣きぬれて

 蟹とたわむる

そのあと、数々の名歌が並んで、最後は次の歌で終わるはずだった。

 わが友は

 今日も母なき子を負いて

 かの城址にさまよへるかな

啄木はここまでを出版社に渡した。その朝に、長男が誕生する。

しかしその男の子は、幼くして死ぬのである。啄木は、見本刷りを、その子の火葬の夜に受け取った。いまわれわれが手に取ることのできる『一握の砂』には、上記の歌の直後に、わが子の死を悼んだ8首が収められている。ということは、啄木は、出来上がった見本刷りの最後のページに、この8首を追加して書き込んだことになる。その8首こそが、啄木最高の短歌となった。

そのうちから3首を紹介したい。

 真白(ましろ)なる大根の根の肥ゆる頃

 うまれて

 やがて死にし児(こ)のあり

 死にし児の

 胸に注射の針を刺す

 医者の手もとにあつまる心

 底知れぬ謎に対(むか)いてあるごとし

 死児のひたひに

 またも手をやる

他の5首もぜひ原著で読んでみてほしい。個人的には、「真白なる・・・」が神業に近いと思う。真白に肥えた大根と死んだ子との対比、「うまれて」での改行、そして「大根の根」という禁じ手を鮮やかに成功させたところ。近代短歌最高作であろう。しかしそれが啄木に降りてくるためには、わが子の死というものが必要であった、ということをどう了解すればいいのか。

そして、私の見るところ、啄木の短歌生命は、この8首で終わっている。次作『悲しき玩具』は駄作だ。啄木もまた、『悲しき玩具』刊行を待たずに27歳で死んだ。

壮絶で、残酷である。これも、生命だ。