石川啄木と子どもの死、底知れぬ謎
- 作者: 石川啄木,金田一京助
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1952/05/19
- メディア: 文庫
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石川啄木のデビュー作『一握の砂』は、著者による次のような文章から始まっている。
・・・また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆(しょし)の手に渡したるは汝の生まれたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌(やくじ)となりたり。而(しこう)してこの集の見本刷を予の閲(けみ)したるは汝の火葬の夜なりき。
この文章は、何を意味しているのだろうか。
『一握の砂』は、有名な次の歌から始まる。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたわむる
そのあと、数々の名歌が並んで、最後は次の歌で終わるはずだった。
わが友は
今日も母なき子を負いて
かの城址にさまよへるかな
啄木はここまでを出版社に渡した。その朝に、長男が誕生する。
しかしその男の子は、幼くして死ぬのである。啄木は、見本刷りを、その子の火葬の夜に受け取った。いまわれわれが手に取ることのできる『一握の砂』には、上記の歌の直後に、わが子の死を悼んだ8首が収められている。ということは、啄木は、出来上がった見本刷りの最後のページに、この8首を追加して書き込んだことになる。その8首こそが、啄木最高の短歌となった。
そのうちから3首を紹介したい。
真白(ましろ)なる大根の根の肥ゆる頃
うまれて
やがて死にし児(こ)のあり
死にし児の
胸に注射の針を刺す
医者の手もとにあつまる心
底知れぬ謎に対(むか)いてあるごとし
死児のひたひに
またも手をやる
他の5首もぜひ原著で読んでみてほしい。個人的には、「真白なる・・・」が神業に近いと思う。真白に肥えた大根と死んだ子との対比、「うまれて」での改行、そして「大根の根」という禁じ手を鮮やかに成功させたところ。近代短歌最高作であろう。しかしそれが啄木に降りてくるためには、わが子の死というものが必要であった、ということをどう了解すればいいのか。
そして、私の見るところ、啄木の短歌生命は、この8首で終わっている。次作『悲しき玩具』は駄作だ。啄木もまた、『悲しき玩具』刊行を待たずに27歳で死んだ。
壮絶で、残酷である。これも、生命だ。