『夕凪の街 桜の国』多層化する生者と死者

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

ネタバレありなので、隠しておきます。


遅ればせながら、こうの史代『夕凪の街 桜の園』を読んだ。3本の作品が収められているが、やはり「夕凪の街」が突出して優れている。著者は実際に原爆やその直後を体験してはいないのだが、この作品は、著者だけではない様々な魂が乗り移ってそれを書かせたというような凄さがある。映像的には、21ページから22ページへの展開は、ある意味ありきたりと言えつつも、ここまで凄い映像的展開はさほどなかったのではないか。マンガだからこそできる技であり、映画では無理だろう(観てないが)。

主人公は、恋人に、「生きとってくれてありがとうな」と手をつないで言われ(29ページ)、そこで生の肯定を与えられる。その地点を転回点として、主人公は原爆症が発症し、やがて動けなくなり、息を引き取っていくのである。ラストシーンは虚無的である。

この作品には二つの力動が隠されているように思う。ひとつは、主人公が「自分はなぜ生き残ったのだろう」という罪責感から抜け出せずに、死者の世界へと引き戻されていく力動である。無念の死を死んでいった死者たちは、主人公を死の世界へと引き込もうとする。主人公が生の肯定を得たことを妬むかのように、死者は主人公を死の世界へと引きずり込んでしまうのである。

もうひとつの力動は、主人公は、無念の死を死んでいった死者たちを代表して、この世の生の意味を探そうと生かされているという流れである。主人公は、恋人から生の肯定を与えられ、この世で生きる意味を感得した。そしてその生の肯定を胸に秘めたまま、幸福に死の世界へと帰って行くのである。無念の死を死んでいった死者たちの世界に、生きることの肯定を携えて還っていくのである。死者たちに生の肯定を送り届けるという、すさまじいことがここで達成されている。この意味で、この力動は、死者への福音の流れであろう。

これらが重層するのが『夕凪の街』であり、それをおそらく著者も訳が分からぬまま描き切ったとき、この傑作が生まれたのだろう。