戦争を待ちながら

 赤木智弘「『丸山真男』をひっぱたきたい」に言及しようかと迷いながら半年が過ぎた。赤城さんは、もうこんな日本は最悪だから、戦争するしかない、みたいなことを綴っている。しかし、最後の部分はこうしめられている。

 しかし、それでも、と思う。
 それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
赤木智弘「『丸山真男』をひっぱたきたい」『論座 2007年1月号』朝日新聞社

私は、この部分を読んでこけそうになってしまった。甘ったるいやさしさ。なんだかんだ言って、他者を尊重してしまう。そして、この甘ったるいやさしさこそが、私も共有する世代感覚かもしれないと思った。*1
 「戦争を知らないから、こんなことが言えるのだ」という批判をした年長者も多かったようだ。しかし、戦争を知っている人、などいるのだろうか。この国では、「戦争=1945年8月15日に終わった日本の戦争」ということになることが多い。言うまでもなく、戦争は時代と場所により、多くの顔を見せる。この先、日本で戦争が起きるかもしれないような戦争が、「さきの戦争」と同じだとは、誰にもいえないはずだ。そういう意味では、赤木さんも「戦争するしかない」といいながら、「さきの戦争」の再現として、未来の戦争を構想している。ここで語られているのは、戦争そのものではなく、「さきの戦争」という、この国で前提として共有されている(と言えるだろう)記憶の中の戦争である。
 私は戦争を肯定する気はないし、悲惨さは語られなければならないと考えている。そして、この国では「さきの戦争」についてそこそこ語られてきたと感じる。*2一部のバックラッシュの中では「戦争賛美」も見受けられるが、その多くは戦争の悲惨さをも含めて美化しようとする。戦争が始まっても、自分だけは安全で、暴力や生命の危機から逃れられる、というような楽観視をする人はあまりいないだろう。だから、赤木さんもこう書く。

 戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国 国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
  (同上)

赤木さんは、少なくとも「さきの戦争」の記憶の伝承は引継ぎ、悲惨さは伝えられている。むしろ、赤木さんは「さきの戦争」を知っているからこそ、戦争を求めているようにみえる。悲惨さを知らないからではなく、悲惨だからこそ、戦争を求めるのだ。平和憲法によって、日本は守られている、戦争はない、といくら念仏のように唱えてみても、「戦争は、きっと起きる」という予期不安はなくならない。「今日は、戦争は起こりません」と言われたところで、明日は起こるのかもしれない。その日を待ち続けているうちに、待ちきれない人たちが出てくる。不安に耐え切れず、逆に自ら戦争へ突っ込んでいくのだ。
 赤木さんは、一番そのことを恐れている。私の世代の甘ったるさはここにある。もうすでに、そのような行為は「顕在化した」のだ。ただ毎日通勤していた人たちが、地下鉄にまかれたサリンで死んだ。仕事を懸命にしてる人たちが、貿易センタービルに突っ込んでくる飛行機によって死んだ。道に倒れるスーツ姿のサラリーマン。ビルの窓から飛び降りるアメリカ人。悲惨だということは知っている。
 しかし、待ちきれなくなれば、自分が暴走し、戦争に突っ込むかもしれない。すでに、飛び込んでテロリストを見ているからこそ、そこに自分を重ね恐れる。「わたしは人を殺すかもしれない」だからこそ、やさしくならなければならないのだ。自分の中に戦争を求めるおぞましい欲望があるからこそ、そうではない、やさしい自分になりたい。破壊衝動をコントロールしたい。しかし、こんなルサンチマンに押しつぶされる毎日の中では、やさしくありたいと望むことすら放棄しそうだ。この論文は、「その状況をなんとかしてくれ」「わたしに人を殺させないでくれ」という、うめきである。
 だから、「共に闘おう」という左派からの応答は頓珍漢なものだ。赤木さんはすでに闘っている。自分の戦争を求める欲望と、その欲望を刺激する社会と闘っているのだ。
  私は、赤木さんの主張には、ほぼ賛同するところはない。だが、甘ったるいやさしさと、以下の決意表明は共有する。

「社会と戦え!」「もっと考えろ!」と言われるが、私は社会から逃げているつもりはないし、考えを放棄するつもりもない。私は社会と戦いたいし、もっと考えたい。
 しかし、いまのままでは、問題を考えようにも単純労働や社会の無理解に疲れ果て、酒やテレビなどの一時的な娯楽に身をゆだねるしかない。
 考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金がなによりも必要不可欠であり、それを十分に得られて初めて「考える」という行為をすることができる。
 そうした人間が、考えて活動するための「土台」を整備することこそ、私に反論する方々の「責任」ではないだろうか。

赤木智弘「結局、自己責任ですか」『論座 2007年6月』朝日新聞社

ただ、こっから先が大変なわけで。言っちゃったからには、やんなきゃいけないからね。「当事者です!」と声をあげることは、大事だけれど、そっから先に、「だからこういう社会を構想します」といったときに、そのプランがしょぼいと「当事者なだけじゃん」と言われてしまう。赤木さんは「当事者なだけ」で終わるつもりはないみたいなので、大変ねえーと、思いました。*3

*1:私は赤木さんと10才近く離れているので、コーホートとまではいえない部分もありますが。

*2:もちろん、意図的/非意図的に語りを避けられてきた部分への批判も重要である。ここではそこには触れない。

*3:そして、そのあとの赤木さんの構想はもひとつですね。