『リベラルなナショナリズムとは』

リベラルなナショナリズムとは

リベラルなナショナリズムとは

著者はイスラエル女性学者、平和運動家。分配的正義論と、文化帰属論とを接合しようとする野心的な試みである。
彼女の持論は、リベラルな選択の自由の思想と、ひとのアイデンティティに基づく連帯感とは矛盾せず、歩み寄れるのであるというものである。リベラルがもっと文化に敏感であり、ナショナリズムが地と血にこだわらずにあるべきだと言うのである。そして、「複数のネーション」を元にした世界の新しい秩序を開拓していこうとする。
だが、それほど事態は簡単であろうか。1つには、彼女が「国境を超える分配」をどう考えるのか、あまり明らかではない。現に、サハラ以南のアフリカでは、エイズ治療薬にいわゆる「先進国」の知的所有権が邪魔をして、「薬はあるのに薬にアクセスできない」状況である。
彼女は「リベラルなナショナリズムでよい」と結論づけるのだが、どうしてもそこで「他者」という問題が抜け落ちてしまう。私自身はこれまでの主流の分配論では「他者」のたちあらわれが理論的に最初から抜け落ちている構造になっていると考えている。それを踏まえたうえで言えば、リベラリズムナショナリズムももともと「他者の排除」という意味においては、対立しないと考えるのである。著者は「他者」の問題を見ないことによって、リベラリズムナショナリズムがあたかも対立するように見せかけるが、これは管見では偽の問いに答えている、あるいは偽の答えであるように思われるのである。「複数のネーション」を元にしても、最後にはネーション同士の関係性の問題が残るはずである。
選択の自由や文化的な帰属が当人にとって大切なものとして位置づくにせよ、そのことは「それをもとに社会を構成する」ことにはならない。選択の自由の名のもとに、いま当人の手元にあるべき選択肢が奪われていることが捨象されるなら、それは問題である。また、文化的帰属では語ることのできない、掬わざる部分が当人にとって大切な時もある。著者の野心は野心として尊重されるべきと考えるが、その野心は「他者」という問題系を見逃してしまったことによって、大きく達成されないものになってしまったと私は考える。
【参照】教えていただきました。ありがとうございます。
シオニズムはリベラルになりうるのか――ヤエル・タミール『リベラルなナショナリズムとは』をめぐる勘違い」@パレスチナ情報センター