サリンジャー『フラニーとゾーイー』太っちょのオバサマ

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

サリンジャーフラニーとゾーイー』は、若いときに読んだのだが、いまいちよく分からなかった。青春小説として読んだわけだが、そのなかに出てくるキリストの意味をまったくつかめなかったからだ。

兄ゾーイーは、妹フラニーに向かって言う。フラニーは子どものときにマタイ伝を読んでイエスが大嫌いになった。

きみ、どうしてイエスが嫌いになったか、知ってるか? ぼくが言ってやろう。第一にイエスが会堂へ入って行って、テーブルや偶像を、そこれじゅうに投げ飛ばしたのが気に入らなかったんだ。(180頁)

第二に、イエスは「空の鳥を見よ」という。

ところが、すぐ言葉を続けて、イエスが「汝らはこれよりも遙かに優るる者ならずや」と言うとき――ここで幼いフラニーは爆発するんだ。幼いフラニーが冷然と聖書を捨てて、まっすぐ仏陀に赴くのはここのところさ。仏陀はかわいい空の鳥たちを差別待遇しないからね。(181頁)

物語の終わりの部分、ゾーイーはフラニーに長い電話をする。兄弟のシーモアが「太っちょのオバサマ」のために靴を磨いていけと言った、という話をする。それが誰のことか知らなかったが、何度も靴を磨いているうちに、ゾーイーは「太っちょのオバサマ」の姿が、頭の中にできあがってきたと言う。

彼女は一日じゅうヴェランダに坐って、朝から夜まで全開にしたラジオをかけっぱなしにしたまんま、蠅を叩いたりしてるんだ。暑さはものすごいだろうし、彼女はたぶん癌にかかってて、そして――よく分かんないな。(218頁)

ラニーも、シーモアから「太っちょのオバサマ」のことは聴いたことがあって、彼女も似たようなイメージを頭の中に持っていたと言う。

ほら――とっても太い脚をして、血管が目立ってて。わたしの彼女は、すさまじい籐椅子に座ってんの。でも、やっぱし癌があって、そして一日じゅう全開のラジオをかけっぱなし! (219頁)

それを聞いたゾーイーは、決然と次のように言う。

きみにすごい秘密を一つあかしてやろう――きみ、ぼくの言うことを聴いてんのか? そこにはね、シーモアの「太っちょのオバサマ」でない人間は一人もおらんのだ。・・・(中略)・・・それがきみには分からんかね? この秘密がまだきみには分からんのか? それから――よく聴いてくれよ――この「太っちょのオバサマ」というのは本当は誰なのか、そいつがきみに分からんだろうか?・・・・・ああ、きみ、フラニーよ、それはキリストなんだ。キリストその人にほかならないんだよ、きみ。(219〜220頁)

そしてこの小説はぷつりと終わる。青春小説の姿を借りた宗教小説なのだろう。「ナインストーリーズ」も謎めいていたが、「フラニーとゾーイー」も謎が散りばめられている。「ザキャッチャーインザライ」のサリンジャーとは別人のような感じだ。