ケアリング・エージェントの生命倫理

研究室に新着雑誌がたくさん来ていたので、少し紹介。『Ethics』Vol.117,No.3 April 2007に、Arnieszka Jaworska, "Caring and Full Moral Standing" (pp.460-497)という大論文が載ってます。パーソン論は、ある存在者が正当な道徳的配慮を受けられる「人格」であるために、自己意識や理性が必要と主張しますが、この論文はある意味でそれを覆そうとするもの。著者は、人格という概念ではなくて「FMS Full Moral Standing」という概念を用いて、ある存在者がFMSであるためには、それが「ケアリング・エージェント(ケア行為体?)」である必要があると言ってます。このケアリングこそが、人格の自律よりも上位概念であると言います。

In this way, carings function as the most elemental building blocks of the capacity for autonomy: a caring agent at least has the beginnings of a self with which to engage in self-legislation. And due to their role as starting points of autonomous decisions, caring attitudes once again emerge as plausible bases for FMS. (p.494)

というわけで、人格概念の基礎を、自己意識・理性・カント的自律から、ケアリングに転換すべきだということになります。

その結果付随的に、ケアリングをすることのできる高等霊長類は、シンガーらとは別の意味で、人格だと考えないといけなくなるだろうと言ってます(p.497)。

この理論的作業は、ほんとにうまくいってるのかな? 斜め読みしただけなので、厳密な要約ではありません。詳しくは元論文をぜひ当たってみてください。

そのほか、

・Nicholas Agar, "Whereto Transhumanism?: The Literature Reaches a Critical Mass," Hastings Center Report37, No.3 (2007):12-17 (人間をがんがん改造しちゃおうというトランスヒューマニズムをそろそろ無視できなくなるよ、という話かな?)

・Heather Widdows, "Is Global Ethics Moral Neo-Colonialism?: An Investigation of the Issue in the Context of Bioethics," Bioethics, Vol.21,No.6 July 2007,pp.305-315 (グローバル・バイオエシックス新植民地主義だという途上国の倫理学者からの声は、言えてる面もあるが、でも現実問題としてはそうやって相対化して済む話じゃない・・・という感じ)

あたりが面白そうでした。