ゲーテ「野ばら」再考

かの有名な若きゲーテによる詩「野ばら」、シューベルトらも曲を付けているから、みなさんも一度は聴いたことがあるだろう。手塚富雄先生による訳詩。

ゲーテ詩集 (1966年) (角川文庫)

ゲーテ詩集 (1966年) (角川文庫)

「野ばら」

野にひともと薔薇が咲いていました。
そのみずみずしさ 美しさ。
少年はそれを見るより走りより
心はずませ眺めました。
あかいばら 野ばらよ。

「おまえを折るよ、あかい野ばら」
「折るなら刺します、
いついつまでもお忘れないように。
けれどわたし折られたりするものですか」
あかいばら 野ばらよ。

少年はかまわず花に手をかけました、
野ばらはふせいで刺しました。
けれど嘆きやためいきもむだでした、
ばらは折られてしまったのです。
あかいばら 野ばらよ。
(17〜18頁)

子どものときに読んだおりに、なんかいやーな感じだなとずっと思っていたが、今回ひさびさに読み直してみて、わかった。これは、少年が、処女をレイプする詩である。必死の抵抗むなしくレイプされて、ああ、〈赤い〉薔薇よ、という詩。こんな詩だったとは。当時ゲーテが付き合っていた女を歌った詩で、女を傷つけてしまったことへの悔恨の詩という説もあるらしい。だとしても、勝手に自分の欲望で傷つけておいて、勝手に悔恨している、自己中の男という感がある。

ファウストの最後の行も、女によってどんでんがえしで救済される超都合のいい男ファウストだった。靴下止めが大好きなゲーテは、こんなものを書く男だ。