ブランド商品と「下流」
立木信『若者を喰い物にし続ける社会』という本を読んでいる。
- 作者: 立木信
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 新書
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格差社会の進行によって、年長者のみが逃げ切り、そのツケをすべて若者たちがかぶらざるをえなくなっている。これは、おかしいぞ! という内容の本。著者は若者側に立つ。
ただ次のような文章をどう読むか。
そうしたなかで、知力も財力もない「下流」と烙印を押される人々も大量発生している。家族のデジタル化は、家族みんなの「幸せ」を実現する商品の必要性を失わせてしまったため、下流も上流もブランドものに走る。・・・(中略)・・・そうしたなか、家族の崩壊により、無意識の喪失感に苛まれた子ギャルや負け犬が何十万円もするブランドバッグを買うわけだ。もはや、クリスマスプレゼントは、頑張った自分や愛しいペットに「ご褒美」として買うものらしい。
なんのことはない、家族が崩壊していなければ、ブランドに注ぎ込まれるその金は家族志向の商品に回っていたかもしれないのだ。とりわけ、下流な方々は、いそいそと無意味な高級ブランドを身に付けたがる。「人並み」を意識しすぎて、「自分をだましている」と決め付けるのは残酷すぎるだろうか。(167〜168頁)
格差社会の進行と、家族の崩壊と、ブランドバックを「子ギャル」や「負け犬」が身に付けることは、ほんとうに関連してるのだろうか? そもそも「下流」の人々は高級バッグを身に付けれるほどの金を持っているのだろうか。
こういう論調はいま一般的なのかな、私はよく知らないけれど。