極限状況論・補遺
- 作者: 稲葉一人,蔵田伸雄,児玉聡,堂囿俊彦,奈良雅俊,林芳紀,水野俊誠,山崎康仕,赤林朗
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2007/04/10
- メディア: 単行本
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新刊の『入門・医療倫理2』を読んでいたら、次のようなケースが載っていた。
ある夫婦から結合双生児の兄弟が生まれた。兄の脳、心臓、肺、肝臓は正常であり、分離手術を行えば健康な人生を送れる可能性が高い。一方、弟は脳が未発達の上、心肺もほとんど機能しておらず、兄から供給される血液がなければ生存することができない。もし分離手術を行なえば、兄という「生命維持装置」から切り離された弟はただちに死亡する。しかし、分離手術を行わなければ、兄の心臓は二人分の血液を供給する負担に耐えられず、半年以内には二人とも死亡してしまう。その後、結局、分離手術は行われ、兄は生存したが弟は術中に死亡した。(203頁)
実際、論文「結合双生児分離手術 : 本邦報告例34組の検討」によれば、日本でも34組のケースの文献が出ている模様。
それで、以前のx0000000000さんのエントリー「マーティン・コーエン『倫理問題101問』」を思い起こした。x0000000000さんは、救命ボート状況のようなケースがおきないようにしていくことこそが倫理であるという主張をされている。社会政策の問題としては、私はその意見を理解できるつもりである。ただし、同時に思うのは、上にあげたようなケースについては、それをあらかじめおきないようにしていく、ということは非常に考えにくいのではないだろうか。
x0000000000さんは、上記のような極限状況においては倫理は作動しないとおっしゃっている(ように見える)が、現実にときたま起きてしまう上記のようなケースでは、医師と家族は、実際、何を選択すればいいかを判断しないといけない。その判断のときには、やはり何かの「倫理」が作動しているに違いないと思うのだが、どうなのだろうか?
私も、確たる答えは持っていないので、問題提起のみです。