ならば、誰に倫理を問えるのか?

 ユダヤ人差別/排除の問題は、ヨーロッパに置いて長い歴史を持つ根深い問題ではあるが、やはりナチスによる「最終解決」(ユダヤ人絶滅作戦)は大きな意味を持つ。それまで、同化することにより非ユダヤ的に暮らそうとしてきたユダヤ人は、その限界を知り、(いかなる同化もナチスの前では無力だった)、反ユダヤ主義へ抵抗してきたユダヤ人は、ますますユダヤ人のための国家の必要性を痛感する。そして1948年に悲願とも言えるイスラエルを建国する。もちろん、イスラエルへの移住はそれ以前から行われてきたのだし、宗主国だったイギリスとの兼ね合いなど、様々な政治的要因はあったものの、ナチスによる虐殺の存在は決定的なきっかけとなった。
 その後、イスラエルがどのような政治状況にあるのかは、私たちのよく知るところである。パレスチナの人びとは強奪され、殺され、一部の人びとは自爆テロに身を委ねようとする。極限状況のおかれたユダヤ人が、それから逃れるために作った国家のために、新たな極限状況に置かれた人びとがうまれている。パレスチナの人びとが、「殺すしかない」というとき、そして、イスラエルの人びとが「私たちはこうするしかない」というとき、私はこの対立には何も言うことはできない、と思わされる。
 私がここで紹介するのは早尾貴紀による「思想史の中のイスラエル」というシリーズである。これは、2002年の『現代思想』4−7月号に連載されていた論文である。早尾さんは、アーレントとブーバーのイスラエルの関わりについて、丁寧に論じていく。そこで明らかになるのは、「二民族主義」という思想である。早尾さんのアーレントの分析をみていこう。
 アーレントは1930年代から、ユダヤ人をイスラエルに移送する運動にコミットしていた。一方で、1940年代に、アラブ人を二級市民とし、ユダヤ人だけの民族国家を作ろうとする一部の「シオニズム右派」(しかし現在の主流派)を批判した。

アーレントユダヤ人のみを中心とする方針の国家建設に反対していた。そして、ユダヤ人とアラブ人とが完全に対等な二民族連邦国家(Ein bi-nationaler Staat)を訴えていたのである。それは当時論争されていたような、どちらか一方が多数派で、他方が少数派であるように設定することでバランスを保つようなものでもなければ、全く同数によってバランスを保つというものでもなかった。アーレントの考える連邦は、人口や領土の大きさによって優劣がつけられるようなものではない連邦であったのである。そして、アーレントが四〇年代当時こうした主張を行っていたことはある程度知られている。

(早尾、4月号、17-18頁)

だが、1948年の建国後、アーレントイスラエルに対して沈黙する。事態は、アーレントが望まぬ方向(ユダヤ人民族国家の建国)に進んだのに、である。ある意味で、これはアーレントの敗北であった。この沈黙に対し、早尾さんは、

ある意味で不自然であるとすら言えるこの<沈黙>は、それゆえにかえって別の何事かを示してるとは言えないだろうか。アーレントは、はたして何を語っていないのだろうか。

(早尾、5月号、9頁)

と追求していく。直観的に、連想するのは、やはりアーレントユダヤ人であったということだろう。アーレントもまた、反ユダヤ主義による迫害を受け、アメリカに移住した。「ユダヤ人として」悲願であったユダヤ人国家の建国に対し、心情的に批判はできなかった、と結論できるかもしれない。また、アーレントの「全体主義の起源」にふれ、早尾さんはこう解説する。

 そしてこれらの権利[=人権]回復は、ユダヤ人とイスラエル国家の例が示すように、これまでは一国の国民としての権利の確立による以外には不可能だった。

(略)
厳密にはこの引用の前後の文脈を考えなければならないだろう。この引用の前後にあるのは、エドマンド・バークの国家擁護である。バークは、フランス革命の抽象的な人権の理念を批判して、人権は「ネイションから生まれるしかない」と言うのであるが、それを受けてアーレントは、「バークの議論の正しさについては疑問の余地がない」と断定するのである。つまり、イスラエル国家に関する第二の引用(引用者注:上記の引用部のこと)をこの文脈に置くと、ユダヤ人問題は国民国家としてのイスラエルの建設によってしか、しかも実際にできてしまったようなひじょうに実体的な民族国家の形での建国によってしか解決できなかったということになる。

(早尾、5月号、11頁)

実際に、イスラエルが建国されたことによって、ユダヤ人が人権を回復したことにより、「やはり必要だったのだ」と遡及的に(アーレントにとって不本意な形の)イスラエル国家を肯定せざるをえなかった。これは、現実に対するアーレントの敗北と呼べるかも知れない。理念により構想した「二民族国家」は破れ、民族国家としてのイスラエルのもたらしたユダヤ人にとってのポジティブな効果の前に、アーレントは口を閉じたのだ。そして、この現実に抗えなかった/抗わなかったことは「処世術」と呼ばれるのだろうか。
 しかし、早尾さんは分析の手を止めない。アーレントが沈黙せざるをなかったのは、アーレントの国家論に論理的破綻があったからだという。何点もの指摘があるが、ここでは最も重要だと思われる点をあげる。それはアーレントが「理論」と「現実」を切り離したことだ。
 早尾さんはアーレントアメリカ分析を取り上げる。アメリカの「独立宣言」が法の根拠を「自然」と「神」に求めているという分析はデリダが「法の力」で述べたとおりである。一方、アーレントは、「理論的」にみれば「神」の概念が抽出されるが、「現実的」にはアメリカ国民は「神」ではなく人同士の約束、契約、互恵誓約によって保たれているという。そして、そのような社会を理解し求めてきた人びとによってアメリカは建国されたとする。ところが、アメリカが黒人を排除してきたことについては、「現実的」に起きたことだと認めながら、「理論的」には全ての人の合意がされていた、とする。

今度は、「現実」の歴史の上で、「黒人奴隷」が同意にはそもそも排除されていたことを挙げつつ、たしかに歴史上は「同意ではなかった」と言いうることを認める。だが、理論の上では全員によるこの「暗黙の同意」があったということにするのは何ら不当なことではないと言うのだ。

(早尾、5月号、19−20頁)

アーレントは、「現実」をみれば、「神」「自然」によって法の正統性が保証されているという「理論」を超えることができ、逆に、「理論」によれば、黒人の排除してきた暴力があったという「現実」を超えられるとする。この「現実」と「理論」の使い分けと混乱が、アーレントの理論に限界をもたらした、と早尾さんは指摘する。

こうして見てくると、アーレントはその理論においてもある限界を含んでいると言わざるをえない。そしてその限界は、アーレントイスラエル国家に関して<沈黙>していることにおいて、形を為して現れていると言える。おそらく自身がユダヤ人であるという事実のために心情的にイスラエルを否定できないというだけにはとどまらない問題がここにはあるだろう。その理論上の限界が、現実認識に一定の影響を与えていることは無視できない。

(早尾、5月号、26頁)

以上のように、アーレントという一人のユダヤ人のイスラエルに対する関わりは、何重もの襞に覆われ、「ユダヤ人だから」という一言では片づけられない多様な問題がある。もちろん、アーレントは哲学者であり政治学者であったから、多くの著作からこのように変遷をたどることができた。そうでないユダヤ人が、イスラエルにどのように関わり、行為しているのかを、一人ひとり追えば、また襞が折り重なっていくだろう。
 アーレントアメリカに住んでいるし、地位も高いから、極限状況と呼べるのか、私にはわからない。ただ、アーレントを1930年代に移住運動に突き動かした反ユダヤ主義、1940年代に積極的に国家構想にコミットさせた政治的危機感、1950年代に沈黙させたイスラエルという国の存在は、少なくとも私が
大小を測れるものではないことはわかる。
 そこで考えたいのだろうが、私はアーレントを通して、倫理の問題を問うことはできるのだろうか。私が問おうとする倫理は、アーレントが「二民族国家を構想したから善い」などと言った成績評価ではない。アーレントのコミットメントと沈黙に対し、私は賛同するのか批判するのか、という倫理である。アーレントはどうすべきだったのか、問う必要はあるだろう。それは、アーレントを褒めたり責めたりするためではない。私たちが、新しい国家構想―それも現在のイスラエルパレスチナの情勢―を考えるときに、礎とすべきである。アーレントから学ぶべきことは、「理論」だけではなく「現実」における立ち居振る舞いでもあるのだ。そして、「理論」と「現実」が地続きであることを学ぶべきである。

 さて、x0000000000さんのこのブログでの下記のエントリに対する議論として、私はこのエントリを書き始めた。

倫理が「現実的なるもの」を意味するならば、それはもはや倫理の頽落ではないのか。その意味で、「現実にどう対応していくか」は、重要な問題ではあるが、それは倫理の問題ではない、そのように私は考えている。

x000000000「救命ボート問題と姥捨山問題」(http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070519/1179542871

この「理論」と「現実」の切り離しこそが、アーレントの理論的破綻を導き、結果としてイスラエルに対する沈黙を生んだというのは、先述の通りである。
 アフガニスタンの家族*1については「理論的」に倫理が問えても、救命ボートの人*2については、「現実的」に倫理が問えないとすることは、できるのだろうか?つまり、この人には倫理を問い、この人には問わないという選別をどうやってするのだろうか?
 結論から言えば、そんなことはできない。全ての人に倫理を問う/問わないのは、私の倫理によって為されるべきである。「この人は極限状態だからやめよう」「この人は余裕があるから聞こう」などということはできず、「私が問う/問わない」という行為の結果、後からそれが倫理であるかどうかはわかるだろう。倫理は、「さあ、今から倫理を遂行するぞ」と思って取り組むものではない。渦中の人間が倫理であるかどうかもわからない中、掴むものこそが倫理である。非常に残念なことだが、倫理的になろうと思って、倫理的になれるものではない。あるものは、目の前の「現実」に対処するという無意味な繰り返しと、そこに意味を見いだそうとする「理論」であり、倫理は遂行され過ぎ去った後初めて分かる。
 私の前の記事*3に結びつければ、倫理もまた「理論」と「現実」の間に滞留するだろう。「理論的」に考えている<私>と、「現実的」に対処している<私>の間にありつづける。倫理は<私>のものにはならないし、「在るから在る」としかいいようのないものである。
 むしろ、私がマーティン・コーエンのような「救命ボート」の倫理問題に抵抗を感じるのは、「理論」でのみ語ろうとするたくさんの、倫理学*4や宗教者*5を見てきたからである。彼らの多くは、実に雄弁に倫理を語る。様々な倫理のアイデアを教えてくれる。しかし、「現実」にその問題に直面したとき、手のひらを返して処世術を実行なさる。そういう人は「理論」を語っているときには、「倫理について教えてやろう」というのに、当事者が語る「現実」に対しては「それは当事者の言うとおりです」と言う。当事者に言えない倫理って、意味あるの?といつも思う。*6

*1:x000000000「『本当は、できるでしょう?』の原初的風景」(http://d.hatena.ne.jp/gordias/searchdiary?of=14&word=%2a%5bx0000000000%5d

*2:x000000000「マーティン・コーエン『倫理問題101問』」http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070517/1179380587

*3:サバルタンと赦しについての覚え書き」http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070519/1179586075

*4:正確に言うと、大学で倫理学の授業を持っている人や、倫理というタイトルのついた著作を書く人

*5:正確に言うと、信者に寄付や布施を要求しそれで生活している人

*6:ある学者が「慰安婦に対して、デリダみたいな抽象的な話をしても仕方がない」と言い放ったのを目撃したことがある。後で、その人を当事者が、抽象的な話が理解できない、というのはどういう思いこみなのか。それとも調査したのか?エビデンス出せ!と問いつめたら、謝られた。いい人なんだろうけどさ。「デリダをなめてるやろ?」と思いました。