サバルタンと赦しについての覚え書き

〔・・・・・〕いたるところに回教徒の姿が見えた。かれらはやせ細って汚い格好をしていた。肌と顔は黒ずみ、視線はうつろになり、眼はくぼみ、服はすり切れ、ぬれていて、悪臭を放っていた。足取りはおぼつかなく、緩慢で、行進のリズムに合わせられない。〔・・・・・・〕かれらは、思い出と食べ物のことだけを話した。昨日、スープのなかに何切れのじゃかいもが入っていたか、肉は何口分だったか、スープは濃かったか、それともほとんど水だったか、ということを。〔・・・・・・〕家から届く手紙も慰めにならず、家に帰れるという幻想を抱くことはもうなかった。一度でよいから満腹を味わいたいと思い、小包を待ちこがれた。わたしたちは、パンのくずやコーヒーのかすを手に入れるために、調理場のごみくずをあさることを願った。

アガンベン、228頁)

以上は、アガンベンアウシュビッツの残りのもの』に収録されている、回教徒と呼ばれる、ユダヤ人収容所の中でも極限状態に陥った人の証言だ。彼らのことが、収容所ではこんな歌になっていたという。

回教徒よりひどいものがあるか。
かれに生きる権利があるというのか。
踏みつけられ、ぶつかられ、たたかれるために、そこにいるのではないのか。
かれはのら犬のように収容所をうろつく。
みながかれを追い払うが、かれの救いは火葬場だ。
ほら、衛生隊がかれを処分しに来たぞ。

アガンベン、231頁)

まさに「これが人間か?」と、死の危機に直面しているアウシュビッツの人びとにすら、問われてしまう回教徒という存在は、極限状態といえるだろう。彼らの証言は、人間の生の極限状態をあらわにする。
 しかし、この証言というものの、性質の厄介なところは、常に過去形でしか語られないことにある。「私は回教徒だった」とは言えるが、「私は回教徒だ」とは言えない。もはや自分のことを語ることすら放棄した状態が回教徒であるのだから、「私は」という主語で語り始めるとき、既に回教徒という極限状況を抜け出していることになる。言葉を発する<私>と、回教徒である<私>が一致することはありえない。
 これは回教徒だけでなく、あらゆるサバルタンに言えることである。何かを訴えるのではなく、訴えることすらしない、ただ存在していることだけが、存在そのものであるような人間。彼らは、語りえないが、その語りえないという部分こそが語られる。サバルタンについて、語られてこなかった、からこそ、サバルタンの存在はアルシーヴ(記録装置)の外側に絶対的な場所を持つ。彼らに言葉はないし、言葉は無力である。
 アガンベンは、死語となっていたラテン語を使い続けた詩人である、ジョバンニ・パスコリについて分析しつつ、こう述べる。

いま例に引いた死語の詩人パスコリの提示した模範は意識的に孤立したままにとどまっていること、そしてかれが他方では別の母語〔イタリア語〕で話したり書いたりしつづけていることを考えれば、かれはそれを話していた主体たちのあとに言語をなんとか生き残らせようとしているのであり、生きた言語と死んだ言語のあいだの決定不能な中間―あるいは証言―として言語を産んでいるのだといえる。すなわち、かれは、文献学による一種の降霊術(ネキュイア)によって、死語が死語のままで言葉(パロール)へとよみがえるようにと、死語の亡霊にみずからの声とみずからの血を捧げているといえる。

アガンベン、217頁)

この不一致であるサバルタンの<私>と、主体である<私>の間で、つまり到達しない過去の<私>と、<いま・ここ>にいる現在の<私>の間に、滞留することで、証言という新たな言語を産んでいるという。ここで、注意を払わなければならないのは、過去と現在が直結するわけではないことだ。あくまでも、過去の<私>は、現在の<私>にとって他者として現れる。すなわち、サバルタンとは―過去にサバルタンだった<私>という主体も含めて―全ての主体にとっての他者である。「私はサバルタンだ」という言明が不可能であることによって、「サバルタン」という言葉は意味づけられている。

 デリダは小論「秘密の文学」の中で、カフカの「父への手紙」を分析する。カフカは「父への手紙」で、実父を許そう*1としながら、作品の創作過程では、虚構上の父に「私を許すことによって、私に罪を着せ、自分の無罪を主張しながら、そのうえで私の罪も否定することによって、私とお前の関係性における至上権を手にしようとしている」と言わせている点に着目する。カフカはペンの力によって、父を自己内に飲み込み、同一化する。さらに、カフカはそのような同一化する自己を、父の口を借りる形で批判させる。

こうした許しのアポリアの原因の一つは、鏡の作用による同一化なしには、許すことも許しを求めたり与えたりすることもできないということである。こうした鏡の作用による同一化において許すことは、許すことではない。というのも、それは、他者を他者として、罪を罪として許すことではないからである。

デリダ、309頁)

デリダは、様々な論の中で、赦しの不可能性に言及している。しかし、デリダが言及するのは、被害者が加害者を憎んでいるから―加害者を赦すことは被害者にとってあまりにも過酷だから―ではない。デリダが赦しの困難さを論じるのは、赦すこととは、被害者と加害者の断絶を超えることであるからだ。赦すこととは、加害者を加害者のまま措定し、自分に加えられた被害を軽減することなしに、そうあり続けさせることだからだ。過去に起きた暴力の悲惨さが和らぐことなく、そしてそこで被害を受けた<私>と、加害を与えた<私>をそのままにして―現在の<私>に対する他者としての、被害者/加害者の<私>をそのままにして―新しい関係を創ることだからだ。
 現在の<私>にとって、過去の<私>は他者でありながら、つまり他者の問題を、現在の<私>の問題であるかのように振る舞いながら、他者として扱うことが赦しである。そして、赦しは現在の<私>と、過去の<私>の間に留まり続け、<私>のものにはならない。

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

死を与える (ちくま学芸文庫)

死を与える (ちくま学芸文庫)

*1:デリダの「赦し」とは仏語のpardonである。現在の邦訳書の多くは「許し」ではなく「赦し」と表記することが多いが、訳注にこのような注釈があったので、それに従った。「pardonという用語は、その宗教的な意味を重視するのならば「赦し」という表記をつかうのがふさわしいと思われるが、とりわけ「秘密の文学」における一般的な射程を維持するため、「許し」という表記を採用した。この語の動詞形pardonerについても同様である。」(385頁)