ドゥルーズ『記号と事件』――マイノリティについて

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)

アントニオ・ネグリの「どうすればマイノリティへの生成変化は力能をもつのか、どうすれば抵抗は現実の反乱たりうるのか」という質問を受けて。

マイノリティとマジョリティは数の大小で区別されるものではありません。マイノリティのほうがマジョリティより数が多いこともあるからです。マジョリティを規定するのは、遵守せざるをえないひとつのモデルです。たとえば平均的ヨーロッパ人の成人男性で都市の住民……。これにたいして、マイノリティにはモデルがない。

続いてドゥルーズは、「マイノリティは生成変化であり、プロセスである」とも述べる。さらに批判を察知してか、周到に次のようにも述べている。

マイノリティがみずからモデルを構築するとしたら、それはマイノリティがマジョリティになりたいという願望をいだくからにほかなりません。たぶん、生き延びたり、救済を見出したりするためには、そうするしかないのでしょう。(以上、すべて引用はすべてpp.347-348)

ドゥルーズはマイノリティの生成変化を「創造」であるといっている。現実の世界におけるマイノリティの「創造」にドゥルーズは期待する。
だが一方で、マジョリティの責任も問われなくてはいけないだろう。世界の変化をマイノリティだけに押し付けるとすれば、マイノリティにとっては迷惑な話である。そもそも、「遵守せざるをえないひとつのモデル」に「居座り続けようとすること」こそが、マジョリティのマジョリティたるゆえんであろうと私は思う。だとすれば、こうした状況を変化させるには、マジョリティも(マイノリティとは違う方法で)「創造的」であり続けることが、「抵抗は現実の反乱たりうる」条件ではなかろうか。