マルクス・アウレーリウス『自省録』の生命論

人間の遺伝子操作や、脳改造や、生延長などの方向に、現代医学はどんどん突き進んでいる。その最先端を走っているのは米国であるが、その米国ですら、レオン・キャスらをはじめとする保守派の生命倫理学が勢いを増してきて、これらのトレンドを再考しようとしはじめている。日本では左翼の生命倫理学者たちがそのトレンドを担ってきた。いずれにせよ、われわれの欲望を制御することこそが、今世紀の技術倫理・技術哲学の最大の課題になるはずだ。だが、そのための思想はどこにあるのか。あったとして、それは資本主義・快楽主義の現代文明に勝てるのか。

というようなことをつらつら考えながら、ストア派を読むというのは、どうだろう。即効薬にはならないだろうが、いま再読すべき文献であることはまちがいない。もちろん再読するだけじゃなくて、そこから推進力を獲得して、現代の思想を構築することが必須である。

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウスは、西暦121年生まれで、後にローマ皇帝となった哲学者である。哲学者の職業というのは古今東西、きわめて多岐にわたるが、ローマ皇帝の哲学者というのは、世俗の地位としてはこれ以上ないほど最高である。(ちなみに格差社会最底辺のホームレス?哲学者として樽のディオゲネスがいる。ブッダは、王子から苦行者へという大移動が素敵である)。マルクス・アウレーリウスは、皇帝としての職務のかたわら、自省録という日誌をつけていた。

君は多くの無用の悩みの種をきりすてることができる、なぜならばこれはまったく君の主観にのみ存在するからである。全宇宙を君の精神で包容し、永遠の時を思いめぐらし、あらゆる個々の物のすみやかな変化に思いをひそめ、誕生から分解に至るまでの時間のなんと短いことかを考え、誕生以前の無限と分解以後の永遠に思いを至すがよい。それによって君はたちまちひろびろとしたところへ出ることができるであろう。(155頁)

すべて君の見ているものはまもなく消滅してしまい、その消滅するところを見ている人間自身もまもなく消滅してしまう。きわめて高齢に達して死ぬ者も結局は夭折した者と同じことになってしまうであろう。(155頁)

この人生を少々長く生きたところで、宇宙全体から見てみれば、たいした違いはないということか。「その消滅するところを見ている人間自身もまもなく消滅してしまう」というあたりの思索は、なかなか身に浸みるものがある。

この文章などは、どうだろう。

死を軽蔑するな。これもまた自然の欲するものの一つであるから歓迎せよ。たとえば若いこと、年取ること、成長すること、成熟すること、歯やひげや白髪の生えること、受胎すること、妊娠すること、出産すること、その他すべて君の人生のさまざまな季節のもたらす自然の働きのごとく、分解することもまた同様の現象なのである。したがってこのことをよく考えぬいた人間にふさわしい態度は、死にたいして無関心であるのでもなく、烈しい気持ちをいだくのでもなく、侮蔑するのでもなく、自然の働きの一つとしてこれを待つことである。そしてちょうど今君が妻の胎から子供が産まれ出る時を待っているように、君の魂がその被(おおい)から抜け出す時を期して待つがよい。(146頁)

よく練られた、すばらしい文章である。マルクス・アウレーリウスは、死を「自然」のはたらきとして淡々と待つがよいと言っている。注目すべきは、死を、妊娠・出産と対比して捉えているところだろう。ここでは自分の死が話題になっているのだから、この文脈では、ふつうは、死を「自分自身の誕生」と対比して捉えることが多いと思うが、自分の死を子どもの妊娠・出産と対比させるところに、マルクス・アウレーリウスの不思議な視点がある。

次の文章はどうか。

無限の時という測り知れぬ深淵のなんと小さな部分が各人に割当てられていることよ。それは一瞬にして永遠の中に消え失せてしまう。また普遍的物質のなんと小さな部分、普遍的生命のなんと小さな部分(が割り当てられていることよ。)また全地のなんと小さな土塊の上を君ははっていることであろう。以上のことをことごとく思いめぐらしつつ君の内なる自然の導くままに行動し、宇宙の自然の与えることを忍ぶ以外には何事にも重きをおくな。(210頁)

これがローマ皇帝の言葉であろうか。私の耳には、この断章から、パスカル『パンセ』の叫びが聞こえてくる。広大無辺なる宇宙に比したときに、人間のなんと卑小なことよ。ほんのちっぽけなかよわき人間、しかしそれは考える葦である・・・・。

マルクス・アウレーリウスの思想から響いてくるのは、人間を超絶した宇宙の滔々たる流れと秩序と、それにのっとってみずからの限界ある生を生きることの至福と救済である。これは西洋キリスト教とは無関係な文脈から発せられている。中村元ストア派原始仏教の近さを指摘しているが、たしかにそれは正しいように思われる。キリスト教にも当然これと同様の思想水脈がある。レオン・キャスらはそれに依拠している。はたして現代文明を転轍することはできるのか。

本書の翻訳と解説は、神谷美恵子である。解説は簡潔ですばらしい。神谷美恵子マルクス・アウレーリウスの接続を考えるとき、得も言われぬ感動に襲われる。