シュレーディンガーの生命観とは
エルヴィン・シュレーディンガーは、知る人ぞ知る量子力学の大家(「シュレーディンガーの猫」の人)だが、哲学的にも興味深いものをいろいろ書き残している。以下は、この本からの引用。
- 作者: エルヴィンシュレーディンガー,橋本芳契,Erwin Schr¨odinger,中村量空,橋本契,早川博信
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2002/04
- メディア: 文庫
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つまり、君が君自身のものと言っている認識や感覚や意志からなるこの統一体(=君自身)が、さして遠い過去ではない特定のある瞬間に、無から降って湧いたなどということはあり得ないのである。この認識や感覚や意志は本質的に永遠かつ不変であり、すべての人間に、否感覚をもつすべての存在(=生命体)において、数量的にはたった一つのものなのである。(99頁)
かくして君は、大地と共にあり、大地は君と共にあるという確かな信念をもち、その身を大地に投げ出し、母なる大地に五体投地する。君は大地のように、否それにもまして幾千倍も金剛不壊である。確かにあした大地が君を呑み込むとしても、あらたな奮闘と苦悩に向けて大地は再び君を産み出すことであろう。それはいつの日にかということなのではなく、いま、今日、日々に大地は君を産み出すのである。それも一度のみならず幾千回となく、まさに日々君を呑み込むように、大地は君を産み出す。なぜなら、永遠にそして常にただこのいまだけがあるのであり、すべては同じいまなのであって、現在とは終わりのない唯一のいまなのであるのだから。(100〜101頁)
数量的にたったひとつのもの、という箇所は、例の〈私〉論を思い起こさせる。大地は再び君を産み出す・・・というあたりは、すごい文章だなあ。
本人もヴェーダンタ哲学に心酔していたらしい。「シュレーディンガーの猫」の思考実験などは、こういう思想的背景があってはじめて出てきたのだと納得。ヨーロッパ科学と思想に脈々と流れる、こういう裏水脈みたいなものは、ほんとうに面白い。