藤田正勝『西田幾多郎――生きることと哲学』

西田幾多郎―生きることと哲学 (岩波新書)

西田幾多郎―生きることと哲学 (岩波新書)

西田が哲学を単なる知識のための哲学としてではなく、自ら生きるということと密接に結びついたものとして理解していたことが、これらの言葉から知られる。いかにして「真に生きる」ということが可能になるか、この問いこそが哲学の出発点であり、それを問い続けることが哲学であるという考えを西田は一貫してもちつづけていたように思われる。(p.6)

西田幾多郎は、「生きること」と哲学とを不可分のものだと考えていた、という藤田さんの説。この本がやや西田や京都学派に入れ込みすぎの感は正直あった。たとえば、ベルクソンについても、同時代の西田より後、すなわちフランス本国ではドゥルーズなどがベルクソン論を書いている。藤田さんの叙述を読むと、「西田を通したベルクソン理解」ではないかと私は感じた。西田的思考を追うには良い本かもしれないが、新書の限界なのか、「西田に即した哲学」しか展開されていなかったのは少々残念であった。
それを補うものとして、最近の出版から次の3冊を挙げておきたい。これらはそれぞれに、著者や編者の色が感じられる。

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎 (KAWADE道の手帖)

西田幾多郎 (KAWADE道の手帖)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)