効率性の位置

eireneさんご紹介の「金子勝の緊急点検・日本のセーフティーネット(四夜連続)」を(3回目、4回目と)見た。金子さんのフィールドワークが(こういう言い方をするのはよくないかもしれない、不謹慎かもしれないが)面白かった。

ただ、4回目を見ていると、どうも金子さん自身が、効率性の置かれるべき位置について、揺らいでいるかなという印象を持った。番組の前半では「病院を閉鎖することは効率的だ」と言いながらも、後半では「病院経営の中で効率性というものは考えられてよい」と言っていた。

金子さん自身、「人が大切にされるための経済」を考えておられ、私もそれに異論はまったくない。ただし、番組を見ていると、どうもそのことと、「効率性」の概念とが、敵対しているような印象受けた人もいるのではないか。そういう構成だったように思う。

「効率性」というものは、それ自身価値判断ができないものとしてある。いわば「触媒」や「潤滑油」のようなものである。価値判断の問題としてあるのは、「人が大切にされる経済」を選ぶのか、「人をぞんざいにする経済」を選ぶのか、にある。そのそれぞれに対して、効率/非効率ということが考えられるのである。その限りにおいて、効率性の問題と、価値判断の問題とは分けられるべきなのである。だから、よく言われるように、「効率か公正か」というのは、問題の立て方が間違っている。「小さな政府か、大きな政府か」というのも然り、である。

「人を大切にする経済」において、地域の病院を閉鎖することは非効率なことであり、「人をぞんざいにする経済」においては、それは効率的なことである、それだけである。大切なことは、効率性を「いかなる目標に向かって」使うかということであり、効率性を棄却することではない。