定塚 甫「医者になる前に読む本――『診る人・診られる人へ』」

 一念発起して、歯医者に行った。インフォームドはあったけれどコンセントはなかった。一方的に情報を並べられて、「じゃあ、こうしますから」っていうのは、インフォームド・コンセントでないんでは??しかし、医者―患者関係では、何もいえず、「はあはあ」と頷いて帰ってきた。
 落ち込んでいたので、医療批判の本を読んでみた。

医者になる前に読む本

医者になる前に読む本

「欧米の先進医療に比べて日本は遅れている」「ゆとり教育に甘やかされた医学生・研修医はダメだ」という主張が中心だった。そして、ご自身が若かりし医学生のころの、思い出話。
 確かに、先端技術至上主義で、機械に頼る医療を批判することは大事だ。人と人との触れ合いも、医療では大事だろう。しかし、「え…」と思うエピソードも多かった。いきなり研修医8人の前で、若い女性患者に全裸になることを命じる医学教授や、診察中に著者の股間をさわる女性患者の話は、読んでいて「もしかして、著者は美談だとして書いてるの??」とついていけなかった。*1くわしく論じるのもなんだが、著者は「医者は男だ」というお気持ちが強い人だということは、よくわかった。
 また、著者は団塊の世代で、学生運動をすばらしき青春時代として振り返る。学生運動家たちは、教官と真剣に議論しあった。ときに正当な主張は、当局を動かすに至った。そして、現在も彼らは著作業や講演会などで、消息を知ることができる。それに比べて、教官に擦り寄ったノンポリ学生は、みんな金儲け主義や、机にかじりついたダメ医者になり、行方知れずだという。*2
 私も、この世代の人に「昔の学生は云々、今の学生はダメだ」というお話をいただくことがある。「では、今のあなたはどうなんですか?」と聞きたくなるけれど、なかなか聞ける状況はない。私は、過去の栄光よりも、そこから転向して今にいたるおじさんたちの魂の遍歴を聞きたい。

 そして、学生運動ではなく、本気運動家な医者もいたなあ、という本を。

精神医療と社会―こころ病む人びとと共に

精神医療と社会―こころ病む人びとと共に


定塚さんが、教官と学費の値上げ闘争をやっていたころ、生存のための闘いをしていた医者もいる。学生運動を否定するつもりはない。むしろ、私は「1968年」を、サブカルのカテゴリーとして愛好している。ただ、同じ医療批判でも、あまりにも意味合いが違う。
 私は、今、必要とされているのは、定塚さんが思い描く医学生ではなく、藤沢さんのような医療システムに疑問を持ち、「既存のあらゆるシステムを超えていこうとする意志」を持つ若者だと思う。つまり、定塚さん(や藤沢さん)を糾弾するような医学生である。医療に限った話ではなく。

 人生いろいろ、医者もいろいろ。患者だーっていろいろ、咲き乱れるわ。

*1:もちろん、文脈があるので、興味がある方は読んでみてください。

*2:素朴に考えれば、人は本質的には変わらないということだろうが。地道に勉強していたノンポリ学生は、今も目立ちはしないが、地道な医療に貢献しているのではないのか?調査に基づく話じゃないので、よくわからんが。