高齢者まで押し寄せる恋愛至上主義の波?
Yahoo!セカンドライフ特集で、「人は何歳まで恋愛できるか」というシリーズをやっている。
http://secondlife.yahoo.co.jp/life/special/070406/page001.html
映画監督の浜野佐知が、高齢者の性について語っている。その内容については、私は好感をもって受け止めることができる。高齢者の性について蓋をし続けるのはよくないことだし、高齢者の恋愛・性愛にはもっと様々な豊かさがあるはずだ。しかし、同時に、この文章から匂ってくるメタメッセージは、人間老いて死ぬまで恋愛しないと価値がない、という恋愛至上主義思想ではないのか? 勃起しなくなったアレであっても役立つから使え、と言っているようにも読める。
もちろん「恋愛したい人は、すればいい」という自己決定の論理になっているが、それが実質的な自己決定にならない危険性があることは、「新優生学」を参照すればわかることである。恋愛至上主義・恋愛資本主義は、一方においてオタク男女をマーケットに取り込み、同時に、高齢男女をマーケットに取り込みはじめているということなのか。ネットで恋愛至上主義批判、恋愛資本主義批判を繰り広げている人たちは、これをどう思うのか。