マーティン・コーエン『倫理問題101問』

倫理問題101問 (ちくま学芸文庫)

倫理問題101問 (ちくま学芸文庫)

中絶や暴力の問題など、現代社会について倫理学には問うべきことがたくさんある。そのただ中で巻き込まれながら、当事者としてジレンマに立ち向かわざるを得ない人たちがいる。彼らはどう振舞えば「倫理的」であるのか。
この本で最初に出てくる、以下の「救命ボート」問題がある。

ジレンマ1 救命ボート
魚雷が戦艦「北方精神」のエンジン室を破壊。戦艦は瞬く間に沈み始めた。「船を捨てて逃げろ!」と冷酷無常なフリントハート船長が叫ぶ。だが、もうこれ以上、救命ボートは残されていない。仕方なく大勢の船員を詰めこんだボートは、舳先に船長を乗せて、沈んでゆく船から何とか離れようとしている。大西洋の冷たい灰色の海は、助けを求める悲壮な叫び声であふれている。
これ以上の船員を乗せれば、この小さなボートが転覆して、すでに乗っている人間の生命まで危うくしてしまう……。その危険に直面したとき、さらに1人でも多くの船員を救い上げるべきだろうか。(p.24)

ジレンマ2 さらに沈んでいく
フリントハート船長は何やらラテン語で独り言を呟いたと思うと、有無を言わせず「停止するな!」と厳命を下した。救命ボートに乗った船員たちの口からは、アングロサクソンの言語で「殺人鬼」「薄情者」「船長がボートを降りるべきだ」という呟きが漏れる。しかし、船員たちは船長の命令に従うのが習わしだ。すると、海に浮んでいた船員の一人が、ボートに這い上がろうとしてきた。給仕の青年トムだ。彼は凍える両手でボートの縁に何とかしがみつき、最後の力をふり絞って、甲板に上ろうとしている。その重みでボートが大きく傾いていく!
トムのいちばん近くにいた料理人バートに向かって、フリントハート船長が後方から叫ぶ。「奴を叩いて海に戻せ!」
バートは命令に従うべきだろうか。(pp.24-25)

これが、倫理的なジレンマとされている問いである。そして、この本の「ディスカッション」のパートでは、いくつかの「回答」が与えられる。「バートはトムを助けることができる。ボートから飛び降りれば良いのだ!」(p.183)が1つであり、「船長を海に突き落とすのだ」(p.183)がまた1つである。
私自身の回答はどうか。「こうしたジレンマに直面するとき、何か「倫理的に」答えることができる、ということを疑ってみないといけない」というものである。つまり私は、ジレンマに行き詰まっている人が何か倫理的な行為を選択できる、という考えを批判しようとしているのだ。
フリントハート船長は、ラテン語で「不可能なること義務ならず」と言ったそうである(p.183)。法においては全くその通りである。私はそれを否定しない。むしろ、こうした現場でバートがトムを見捨てたり、船長を突き落としたり、あるいは自死したり、そうしたことが「処世術」としてなされるということには、むしろ納得するものである。しかし大切なことは、これはあくまで処世術、言い換えれば法なのであり、それ以上でも以下でもない、ということである。こうした行為を倫理や、あるいは正義の名で語ろうとする一部の法哲学者もいるが、何をかいわんやである。
それでは真に倫理が考えなければならない(と私は思うが)問いとは何か。それは言われてみれば身も蓋もないことではあるが、「救命ボート状態をなくしていく」ことである。船がもっと丈夫であったなら、致命的な事故に至らなかったかもしれない。また、救命ボートをもう1艘積み込んであれば、全員救命できたかもしれない。究極の状況に追い込まれながら行うことというのは、処世術の問題ではあっても、倫理の問題ではないと私は考える。倫理が問うべき問題は、実はもっと手前にこそあるのではないか。