人を責めるのはよくないのか?
私の投稿した記事「「本当は、できるでしょう?」の原初的風景」に関して、さまざまな反応をいただいている。それはそれで、非常に面白い。
その上で言えば、「自責としてならよいが、他人の責任を追及するような言い方はいかがなものか」という言い方が複数散見された。これは単に、「他人から責任があると言われたくないだけ」なのではないか、という感じもした。ただそのことが、暴力だという批判は承知している。承知した上でなお、他人の責任は、それがあるならば追及されてよいとは思う。もちろん、そのときに「言い方」や、「誰が言っているのか」という問題は残るとは思うが。
あと、私たちはどうしたところで生命を貪りながら生きているし、生命の宿命として他の生命を殺しながら生きながらえることは、事実として認めなければならない。それを悪と呼ぶなら、私たちは悪を背負いながら生きざるを得ない。本当の問いは、「悪を背負いながら、私たちはどう生きるか」にあるのであって、「悪を悪だと考えない」ところにはないように私には思える。そしてそれこそが、「責任」ということを考えるにあたっての最初の一歩になるのだと思う。「他の生命を殺しながら生きる、ということを背負いながら、一方で私たちは他の生命とどうともに、豊かに生きていこうとするのか」。この問いを、私は手放さずに考えていきたい。