島尾ミホ『海辺の生と死』

海辺の生と死 (中公文庫)

海辺の生と死 (中公文庫)

戦後短篇小説再発見5 生と死の光景 (講談社文芸文庫)

戦後短篇小説再発見5 生と死の光景 (講談社文芸文庫)

 先月末に、島尾ミホさん(1919-2007)の訃報に接した。ミホさんは、作家・島尾敏雄さんの夫人。文学者としての活動経歴もあり、著書『海辺の生と死』(1974)では、奄美加計呂麻島で過ごした少女時代の思い出や、海軍震洋特別攻撃隊の隊長として島に駐屯した敏雄さんとの出会いが綴られている。

 以下は、『海辺の生と死』より。

「浜辺の死」

 夏の真昼。白い砂浜に黒い牛が立っていました。赤い布で腰のあたりを覆っただけの裸の男たち。万太おじ、斎おじ、モ(注・王へんに百)玖おじ、阿仁おじの四人が牛を囲んで高い声でしゃべっていました。すぐ側には枯木の束が積まれ、よく研がれた鉈や庖丁が太陽の光を眩しく照りかえしていました。何故幼い私がひとりだけ大人たちの仲間入りをしてそこにいたのか今は思い出せませんが、私は牛のまんまえに立ってかすかな口のうごきさえわかる近さで、まじまじとその顔を見ていたのです。牛は優しい眼つきで私の眼を見ていました。涙がこぼれそうなぐらい胸にひびくあたたかい眼でした。斧を持った阿仁おじが何かに区切りをつけるように、「がんば」と言って私の側にきて立ちました。私は「ああ、まき(眉間)を打つのだわ」と思ったんです。でもちっとも怖くはありませんでした。ただ「さようなら」だと思っていました。牛も私も目をそらさず互いにみつめあっていました。この時の牛の眼を私は生涯忘れることができません。口元近く手綱を持っていた万太おじが両手でそれを抑えて「うれ」と言った時、身構えていた阿仁おじは斧を振りあげ、刃と反対側のところを牛の眼のあいだに打ちおろしました。牛は前足を二本いっしょに曲げてのめり、続いて後足も曲げながらゆっくりうずくまりました。大人たちは早く、形よく曲がって横に張った二本の角を抑え、首にかけた手綱を引きしぼりますと、牛は急にあばれ出しました。それはいやいやをしている子供に大人がよってたかって灸をすえているような光景に見えました。黒い毛並みが光って激しく波打ちあえぎましたが、だんだん勢いが引いていきやがて止まってしまいました。じょうだんをしているようにばたつかせていた四本の足も静かになり、牛はゆっくり寝てしまったかと思えました。もしも掌を触れたらあたたかいぬくもりが指を通してからだじゅうに伝わってきそうなのです。しかし牛は毛を焼かれるために枯木の上にのせられ、火がつけられました。勢よく燃え上がる焔の上に横たわった牛は、眼を半眼に開き、赤く血走ってはいましたがそれでもまだやさしく語りかけているかのように見えました。

『海辺の生と死』(中公文庫、50〜51頁)

 子供の頃、田舎で育った私も家畜が屠殺される場面を目撃したことがある。この文章を読むと、その時の胸の詰まるような切ない感情が呼び覚まされる。
  中公文庫版(1987年刊)は絶版になっており、復刊が待たれる。