これは真の「生殖の自由」なんだろうか

kanjinaiさんのエントリ「女性型ロボットへの性的欲望の未来」へのブックマークコメントが興味深い。

「個人的には人工子宮を開発してそれを望む女性を出産から解放すべきと思ふ」
「子供が欲しい女性は精子バンクで精子を買えばいいだけですし」
「将来生物学的な性(子孫を残す行為)は、人工遺伝子を持ったロボットがやるようになるかもしれない」

それらはほんとうに「生殖の自由」であり、「女性の解放」を目指すものなのか? 一部の自由主義者は、そうであると言うだろう。私は、迷いつつも、必ずしもそうだとは言いきれないのではないかと思っている。私たちが、子孫の繁殖を、質も量も含めコントロールできるようになった社会は、ほんとうに生殖に関して自由な社会なのか? 私もまだうまく言えないが、その「コントロールの困難さ」こそが、人々に「生殖の自由」を担保するよりどころであるように思えてならないのである。逆説的だが、制御することの困難さこそが、制御の自由をからくも担保している、私はそのように感じている。