ウェブに現われる「他者」の具体的検討

私のエントリー「ウェブに「他者」は現われるのか?」で、私はウェブのとくに掲示板には他者の他者性を消去していくシステムが備わっているという主張をした。それに対して、id:mojimojiさんが、ゲスト投稿「他者を歓待するブログについて」で、ウェブには他者は現われるし、むしろ他者とよく出会う空間であるという趣旨の主張をされた。やりとりは、それぞれのエントリーのコメント欄でさらに検討されている。私はmojimojiさんの主張に賛同する点が多い。

そのうえで、実際に、たとえば、G★RDIASで、私のエントリーはどのくらいの他者に出会っているのかを軽く検証してみることにした。

まずは、コメント欄で反響の大きかった「モテ」関連を見てみたい。

「モテとはひとりの女を大切にすることである」http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070414/1176477766
コメント欄
ajisun 他者ではない
furukatsu 他者ではない(簡単に理解可能)
ブックマークコメント欄
gamma_ut 他者ではない
SeiSaguru 他者ではない
tomo-moon 他者ではない
Mossa 他者ではない
yuuboku 他者ではない
furukatsu 他者ではない
sivad 他者ではない
activecute 他者ではない
natu3kan 他者ではない
myfoot 他者ではない(お約束)
setofuumi 他者ではない
Slob 他者ではない
tubame0604 他者ではない
QuietLife 他者ではない
TakahashiMasaki 他者ではない
umeten 他者ではない
PANZIG 他者ではない
Kusamisusa 他者ではない(お約束)

というわけで、他者はどこにも現われていない、という結論になります。

他のエントリーでも似たり寄ったりで、他者は現われていません。

このほかには、「粘着くん」の投稿を何件か削除しました。「粘着くん」は、他者でしょうか? 単に、自分の論理を拡張して粘着して対話を行なわない書き込み群は、他者か?これらは私の「不都合」な部分に食い込んでくる感じがないので、他者と呼ぶには迫力がない。mojimojiさんは「そこにあるのが「粘着的な自己確認」でしかないとしても、それはやはり、「粘着的な自己確認をする他者」なのだ」と言うが、私はその存在を「粘着的な自己確認をする他者」として総括できてしまっているという点ですでにそれは「他者」ではなくなっていると考える。

またmojimojiさんは、「不都合な他者たちを「他者」と認めておくことが、やはり必要なのである。この意味で、不快な他者たちは、私を開くための資源でもあるのだ」と書かれているが、これについても、他者と「認める」、他者が「資源である」と総括できてしまっている点ですでに「他者」ではなくなっていると私は感じる。

(以上の論点は、私もちゃんと展開できてないのでさらに究明される必要があります)

というわけで、振り返ってみれば、やはり、私の場合はほぼ他者に出会ってません。これは、(1)ウェブはやっぱり他者に会いにくい空間、なのか、あるいは(2)私が他者の他者性を無化する方向で応答して(できて)いる、かのどちらかでしょう。というわけで、私はやはり、ウェブは他者に会いやすいかもしれない空間であるというテーゼは、まだ受け入れられないかなと思います。

ただし、このブログ関連で、実は、他者に出会ったと思ってしまったことが一回だけあった。それは、id:sugitasyunsukeさんのエントリー「非モテ(続き)」に出会ったときだ。このエントリーは私にとって他者との出会いだった。私が真にうろたえたのは、このとき一度のみである。

この他者が、ウェブでありがちな「攻撃姿勢」を取っていたのではなく、「ヴァルナラブルな姿勢」を取っていたがゆえに、私をうろたえさせ、他者として食い込んできたというところに、私は驚きを感じざるを得ない。