ホームレスの人を助けるべきか

x000000000さんのエントリー「「本当は、できるでしょう?」の原初的風景」(2007年4月9日 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070409/1176086019)が、hatena村で異様な反響を呼んでいるようである。それらの反響は、どれもたいへん興味深い。

x000000000さんの提起された論点については、私も結論をもっているわけではない。ここではまず、ザックリとした問題提起をしてみたいと思う。

x000000000さんの当初の論点はこれであった。

たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。

目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。

それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。

このときに、私が「募金できない」と言うのは端的に誤っている、ということである。ただ単に私は「募金しない」だけである。

仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。

これに対して、いろんな反論が投げかけられている。とくに、最後の一文に対して、それは違うだろう、という反論が多いようだ。

では、次のようなケースではどうなるのだろう。(次のケースは、上記のケースとはまた異なった設定である。上記のケースを深く考えるために役立つかもしれない)。

私の住む大阪市では、寒い夜に、道ばたによくホームレスの人が不自然な姿勢で倒れている(ように見える)。

私はこのような知識を持っている。「ホームレスの人は致命的な病気を持っていても、お金に余裕がないために病院にかかれず、死期を早めてしまうことが少なくない」。

さて、私は8千円持っていて、いまからそれで手塚治虫全集を買おうと思っていたのだが、私の目の前で倒れているホームレスの人に声をかけて、8千円を渡せば、ひょっとしてその人がそれで病院に行き、致命的な病気が見つかり、その人がより健康になり長生きするかもしれない、と思う。だが、私にとってはその人の命よりも、手塚治虫のマンガのほうが大事だったので、そのまま無言で通り過ぎた。

さて、この場合、私は「間接的ではあろうが、私は他人を見殺しにすることに加担した」と言えるであろうか。

もしそれが言えるのなら、私と同じような行動をしている人々すべてに、それは言えることになるでしょう。

もしそれが言えないのなら、高額所得者である私は、<すごく心が楽になります>。

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追記:17日に新バージョンを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070417/1176810310