「能力の共同性」が答えか?

新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)

新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)

私はこちらを取り上げる。方向性としては共感し、挙げられている例はなじみの例も多い。しかし、私は論理の薄っぺらさを感じざるを得なかった。

竹内さんは、新自由主義に抗するために、「能力の共同性」を主張する。しかし、いくら他者に負う(所有権ownershipは他者に「負う」oweというown/oweの親近性も、見慣れた議論だ)としても、能力は個体である生の身体にしか宿らない。つまりは、能力の「何を」共同すべきか、あるいは可能なのか、そのあたりの議論がまったくよくわからなかったのだ。そこが、竹内さんの(この書だけではない)著作を読んでいつも腑に落ちないところである。ロールズの「才能のプーリング」と、どこが違うのか、私には分からない。

10年前、立岩真也が書いた『私的所有論』は、論理の緻密さからして、越えられてはいないように思える。