『現代思想・総特集ヘーゲル』

今月号の『現代思想』臨時増刊の特集は、ヘーゲルの「精神現象学」である。いろんな人たちが論説を書いている。冒頭の加藤尚武「『精神現象学』というゆがんだ真珠」は、加藤的な割り切りがたいへん面白い文章である。

ヘーゲルという思想家は体質的に未完成の思想家である。・・・(中略)・・・[ラモーの甥についての]思索の面白さをヘーゲル自身が満喫しながら、それをどこにつなげていくのか、体系的な連関がまるでない。「ヘーゲルの体系はどれだけ体系的だろうか?」というタイトルの国際学会が、来年日本で開かれるが、体系家というよりはアイデアマンというのが、彼の実像である。
 それがたまたま「体系を完成させた哲学者」という虚像の玉座に祭り上げられたために、・・・(中略)・・・すべてある完成された体系的思索を背後にするものだという誤解を受けた。(9頁)

なるほど、そうだったのか。30年前の大学の講義では、そういうふうには習わなかったな。

ただし加藤さんは、ヘーゲルはドイツ語で読め、と言う。

しかし、いくら翻訳が作られても、その文章の解読にはほとんど到達しない。たしかにヘーゲルの著作でも『ドイツ憲法論』『歴史学講義』などは、翻訳でも理解できる。しかし『精神現象学』、各種の『論理学』『法哲学』の第1部「抽象法」などは、翻訳だけを何度繰り返し読んでも絶対に理解できない。(13頁)

そこまで言ってしまっていいのか、という気はする。ほんとうだとしたら、ヘーゲルの思想の神髄は(千年後くらいに)ドイツ語が滅ぶと同時に、滅んでしまうであろう。ヘーゲルが本物の哲学者だったら、きっとそんなことはない。翻訳の誤解を通じて、神髄は伝わっていくはずだ。哲学思想と翻訳の問題は、もっと複雑で不可解なものを含んでいる。

しかし加藤尚武の文章は、生命倫理のものよりも、ヘーゲル研究のもののほうが、読んでいて楽しいな。