被害者参加制度は重罰化を推進するか?

インパクション』157号(2007年7月10日号)にて、弁護士の山下幸夫が、「重罰化が進む昨今の法改正について」というコラムを書いている。その中に、今国会で成立(6月20日)した「被害者参加制度」(裁判の時に被害者側も出廷できるという制度)への批判が書かれている。

刑事裁判の場では、犯罪被害者やその遺族は、検察官の横に座って被告人に睨みをきかせるようになることから、気の弱い被告人や自責の念に支配されている被告人は自己に有利な弁解や主張をすることすらできなくなってしまうと考えられる。
 そうすると、被害者参加制度は、被告人に対して弁解を許さず、厳罰を課すための制度として機能することになるだろう。そして、この制度が裁判員制度と一緒になれば、刑事裁判は、犯罪被害者や遺族と市民が、被害を与えて国家秩序を乱した被告人を糾弾し断罪する「市民法廷」の場に変貌することが予想される。
 ・・・(中略)・・・とりわけ、被害者参加制度が、被害者や遺族による求刑を認めていることから、犯罪被害者や遺族が、「死刑」を求刑する場面が増加することが予想される。特に、2009年5月から裁判員制度が実施され、市民である裁判員が量刑判断にもかかわるようになるが、犯罪被害者や遺族の生の迫力に圧倒され、その被害者に共感する裁判員によって、現在以上に死刑判決が急増することが予想される。(2頁)

犯罪被害者や遺族の感情や権利が蚊帳の外に置かれてきたという批判を取り入れた制度であるが、法廷にこういう形で持ち込むのが良いやり方だったのか、というわけである。かなり難しい問題である。だが、もう国会で成立してしまった。

山下の言うように、裁判員制度と組み合わされるとすれば、原告側は当然の戦略として、被害者や遺族への「演技指導」を行なうようになるかもしれない。そのために専門家が雇われることになるかもしれない。被害者や遺族の心の中にあるであろう、仇をとってやりたいという感情は最大限に活用されることとなるが、その下に眠っているかもしれない「和解」の感情はどうなるのだろうか。などと、いろいろ考えてしまった。これは、以前に書いた「「33個」目の石−−バージニア工科大事件続報」と深く関連する話である。

日弁連は、この制度導入に反対していた。

被害者参加制度を直ちに導入することに反対する理由
(1)真実の発見に支障をきたす
(2)刑事訴訟の構造を根底からくつがえす
(3)被告人の防御に困難をきたすおそれがある
(4)少年の刑事裁判ではさらに深刻な問題がある
(5)事実認定に悪影響を及ぼし裁判員制度が円滑に機能しなくなるおそれがある
   証拠法則が空洞化するおそれがある
   裁判員制度が円滑に機能しなくなる
(6)外国の制度はその基盤・背景に大きな相違がある]
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/070501.html

被害者と司法を考える会」という被害者側の団体も、公判で被害者への2次被害が起きるなどの理由で反対していた。(http://victimandlaw.org/victimyousei20070307.pdf PDFファイル)

これは、山下や日弁連の論調とはまったく逆に、この制度によって、被害者が加害者から法廷で2次被害を受けたり、法廷に出ない被害者が低く見られたりする危険性があるという指摘である。これも頷ける話である。

このように、被害者側の意見も一様ではないし、ひとりの被害者や遺族の心にも様々な思いがあるはずだ。

この結論でほんとうによかったのか?