好井裕明『差別原論』(平凡社新書)

以前kanjinaiさんが書かれたエントリ「社会学と「生き方としての学問」」に関する類書が出版された。

新書367差別原論 (平凡社新書)

新書367差別原論 (平凡社新書)

<わたし>はいかに差別をしてしまうのか、その心性と社会構造とを好井さんは丁寧に見て取っていく。とりわけ、部落差別と障害者差別が好井さんの原風景のようだ。
「生きられた優生主義」の項で、好井さんは言う。

私はその話(引用者註・ナチスのような優生主義ではなく、この10年の英米系の生命倫理の議論で出てきた、個人が自主的に決めた行為であれば、優生学は承認されるというもの)を聞きながら、恐ろしくなった。これから生まれようとする存在を、すでに生まれている誰かの意志で否定できるというものだからだ。なぜそのような議論が成り立つのか、それは生命倫理などの専門書を読んでほしい。でも私がここで確認したいのは、「生きてもいいよ」という世の中をなんとかしてつくりたいと思うとき、生命(いのち)の値踏みをいったい誰ができるのだろうか、ということだ。私は、そんなことはできない、やるべきではない、と思う。確かに、今の世の中は、障害のある人にとって、まだまだ住みやすいものではない。こんな新書を私が書きたいと思ってしまうのも、その表れだろう。でも仮にきっと生きづらいだろうから、この子はこの世に生まれないほうがいいと勝手に決めつけるという生命(いのち)の値踏みは、やはりするべきではない。(pp.192-193、強調引用者)

この世の中が障害者が生きにくい世の中であるのは、明らかに私たちが障害者を(とりわけ重度であればあるほど)「生命の値踏み」にかけてしまうからである。その社会自体の分析ももちろん大切である。その上で、「私たち」に必然的に組み込まれる好井さんご自身もこの本の中では、また一人称の<わたし>として再帰的に分析対象となっている。フィールドワーク全般や、生命倫理、差別問題に興味のある初学者、とりわけ大学1−2年生向けの入門書であるといえる。それと同時に、<わたし>から始まる社会学の、好井さん的視点の詰まった<抗い>の書とも言えよう。